「人生の答え」って、どこにあるの?
どーも!
みなさんは、人生の答えはなんだと思いますか?
僕も大学生になってから少しずつ考えるようになりました。
なぜ生きているのか。
どこに向かっているのか。
なにを達成したいのか。
僕も一時期まったく自分のことがわからなくなり、生きがいがわからなくなり、「人生の答え」とググっていました。
人生の答え、どこにあるのでしょうか?
今回のテーマは、
「『人生の答え』って、どこにあるの?」
です。
目次
人生に答えは、ない!
すみませんいきなり「ない」とか断言しちゃって笑
正確にここから話していきますね。「ない」には3種類あります。
自分の人生の答えは、ネットにはない
僕は、普段からよくググっています。ググるはもう説明しなくてもいいですかね。笑
普段疑問に思うことに関しては、Googleで検索すれば「変わらない知識」とか「当たり前の知識」として見つかるかもしれません。
でも、自分の人生の答えって、これからできるものですよね?
自分が何を大切にしたいのか、何をやっていきたいのか、そんなことがネットにはあるわけありません。あったらいまごろみんなハッピーなはず!
他の人の人生に、自分の人生の答えはない
そして僕は、よく自己啓発本を読みます。最近はほんと人気ですよね。ブックオフとかでも自己啓発本だらけ。笑
(僕はこのブログを、自分の自己啓発本的な存在にしたいと思っています。そういう人が多いから、きっとブログも指数関数的に増えるんだろうなぁ)
松下幸之助さんとか、ドラッガーさんとか、いろいろ言ってますよね。その人生の歩み方を、まったく同じようにあなたもしたいわけないですよね?
少なくとも僕は、全く同じように歩めるとは思ってません。なぜなら、環境が違うから、人が違うから、時代が違うから。
他人が人生の答えっぽいことを言っていたりします。じゃあそういう人たちが、誰かから答えを教えてもらったりしていたのでしょうか?おそらく違うと思います。
他人たちも、誰も、正解のない中で正解っぽいことをそれっぽく見つけて、それっぽく言っているだけなのではないでしょうか。
そしてそれは、他人なりの答えであって、他人が生きてきた人生において見つけた答え。状況が違う自分に適用できるとは限りません。というかほぼできません。
自分の人生の答えは、自分の中にしかない
では、どこに自分の人生の答えがあるかと言われれば、こう答えるしかありません。
「自分の中にしか、自分の人生の答えはない」
自分の実体験、情熱、考えとかが反映される自分の人生の答えは、自分の心の中にしかない。それはごく自然なこと。
自分が何を大切にしたいのか、何をやっていきたいのか、それはネットにはないです。他の誰も教えてくれません。
なので読者の方を突き放しにかかります。自分自身で見つけるしかありません。
言い換えますね、僕は気づくという言葉の方が好きなので笑
自分自身の答えを見つけるには、自分の心の中にある答えに気づくしかありません。
なぜ「人生の答え」を求めるのか
では、なぜこうも人は「人生の答え」を求めるのでしょうか。僕は2つ理由をここであげたいと思います。
正解主義という価値観に支配されている
まず1つ目は、正解主義が原因です。
おそらく多くの方が、日本の義務教育によって育ったと思います。
小中学校、まぁ高校も入れてもいいんですけど、なにをもって良いと判断されてきましたか?
正解ですよね。テストで満点を取る事が良いと判断されてきたはずです。すでにわかっている正解を求めることで、あなたは優れていると判断されてきたはずです。
これが原因の1つだと考えています。
正解主義で教育されてきた、それが自分の価値観として形成されているからです。「常にどこかに正解があると」いう思い込み、これは大きな原因です。
では考えてみましょう。自分以外のところに正解があった環境で育った私たちが、もし外に正解を探すとしたら、どこになるでしょうか?
やはりネットや他人です。
でも本当は、人の数だけ価値観や考え方があります、その分それぞれの正解があるはずです。他人の人生を当てはめようとしても、当てはまる可能性が少ないわけですよね。
そうなると私たちは困るわけです。「あれ?正解じゃないじゃん。どこだよ正解は?わかんないよ。」となるわけです。
自分の人生に責任と覚悟が持てていない
そして先ほど言いました。「自分の人生の答えは、自分の中にある。」
それでも見つからないわけ、気づかないわけ。それは自分自身にあります。
自分の中にしかないはずの人生の答え、それをなぜ自分の外である他人やネットに求めるのか。
それは「正解があれば、これが正しいと思えて安心し、それをよりどころにして、自分が決めていない正解に責任転嫁することができるから。」これに尽きるのではないでしょうか。
つまり、自分の人生なのに、本人がそれに対して責任と覚悟を持てていないのです。
なんとなくで過ごせてしまうのも、また人生の面白いところです。でもそんな人生がつまらないと思っているからこそ、この記事を書いていたり、あなたも読んでいるのではないでしょうか。
結局、自分が弱いんですよね。弱い自分を認めたくなくて、そこから逃げて、他人の価値観とかに責任を押し付けているだけです。
これは前の記事でも同じようなこと言っています。
解決方法になるかわかりませんが、参考までに。
結局、「人生の答え」はどうすれば見つかる?
では、結局のところ、どうすれば自分の人生の答えを自分の中から見つけることが、気づく事ができるのでしょうか。
ここでは3ステップで紹介していきます。
正解探しをしている自分を自覚する。
まずは、人生の正解を探している自分を自覚しましょう。それがスタートです。
まぁここにたどりついていれば、特に問題ないと思います。もう自覚しているはずだから。笑
どうして?なぜ?と考えていくこと。これが自分なりの答えを出していくうえでは大切です。
なぜならば、そのときの状況で解は異なるからです。自分自身の目的に沿って、その時の状況に合わせて臨機応変に、自分なりの解を求める。それが必要です。
自分を理解して、自分を信じる
正解を探している自分を自覚したら、そんな弱い自分を見つけたら、弱い自分を受け入れましょう。すなおにわかってあげましょう。自分って、けっこう弱いものです。僕も痛感しています。
結局頼りになるのは、自分しかいません。自分を信じられるように、自分に自信がなければいけません。
そのために必要な事。
まだ僕も勉強中なので、これと答えられませんが、
僕は、自分に正直に生きていく、自分に嘘をつかない、そういう誠実さだと思います。自分に誠実になる。それがきっかけなのかなと思います。
正解は探すのではなく、作るもの
そして、自分の人生の答えは、自分の外に探すものではありません。何回も言っています。
そして、自分の中で見つける、気づくと言いました。その概念、なかなか難しいですよね。もう少しわかりやすく、僕自身の考えを表現しますね。
僕は、自分のいろんなところにカケラが散らばっているような状態をイメージしています。だって、人っていろんな要素が複雑に組み合わさって個性とかできていますし。
だから、そういう自分の中にあるカケラを組み合わせることが、自分の人生の答えなのではないかと考えています。
つまりは、思考を変えましょう。
「正解は探すものではなく、正解は作るもの」
自分が「これだ!」と思う事が、自分の考えでたくさんあると思います。それが自分の中に眠っている、人生の正解のカケラ。
そんなピースをたくさん見つけて、それを組み合わせていくと、自分の人生という複雑なパズルが完成していくのではないでしょうか。それが、正解を作るということ。
正しい答えなんて、ないと思います。だからむしろ、正しかったと決められる、変えていける、そういうもんだと思います。自分で人生の答えを決めていける。それが人生の醍醐味なのではないでしょうか。
まとめ
それでは!