青空の下でコーヒーを

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論理的である必要性を考える

どーも!青空コーヒーです!
 
僕がこうしてブログを書き始めて、いろいろ気づきました。
 
とても構成にこだわり、構成を作ってからじゃないと記事を書けなくなっていました。
 
 
 
 
いや、当たり前だと思うんですけど(笑)
 
読みやすくするには、当たり前だと思います。
 
けれど、なぜ構成をしっかりしている方が読みやすいのか、と考えたときに、
 
論理的である方が読みやすいのでは?
なぜ論理的?
 
と思ったので、今回は論理的である必要性について考えてみました。
 
テーマは、
「論理的である必要性を考える」
です!
 
また今回のケースでは、相手になにかをしてもらうという意味での論理的である必要性について考えていくので、営業のような立場から書いていきます。
 
 
目次
 
 

論理的とは?

そもそもの意味からです。
論理的とはなんでしょう?
論理とはなんでしょう?
 
  1.  論理に関するさま。「論理的な問題について書かれた本」

  1.  論理にかなっているさま。きちんと筋道を立てて考えるさま。「論理的に説明する」「論理的な頭脳の持ち主」

論理的(ろんりてき)の意味 - goo国語辞書

 
ここでは2の意味ですね。
それでは、論理とはなんでしょうか
 
 考えや議論などを進めていく筋道。思考や論証の組み立て。思考の妥当性が保証される法則や形式。「論理に飛躍がある」 
 事物の間にある法則的な連関。
 
ここでは1番の意味ですね。
 
妥当性が保証された考えの筋道、といえばよろしいでしょうか。
 
論理が飛躍しているというのが例文にありましたが、これは妥当性が保証されていないと捉えることができますね。
 
 
 

なぜ論理的でないといけないのか 

では、なぜ論理的でないといけない、もしくは論理的であるべきなのでしょうか。
 
 
納得させるため 
なによりも、聞き手を納得させるために論理的であることが求められます
 
特にビジネスの世界では、非常に論理的です。
 
ビジネスの世界では、意思決定の場面がとても多いです。
誰を採用するとかから、どんな契約をするとか、経営計画とか。
 
 
 
相手が、誰かに意思決定をしてもらいたいような立場であるとします。コンサルタントや営業の立場だと思ってください。
 
 
 
あなたがいろいろ言っても、聞き手はなかなか行動に移せません。
 
それは、納得できていないからです。
 
なにに納得できていないかというと、目標達成に向けたルートが見えていない不安や、どの情報をもとに判断すればいいかという保証です。
 
 
 
ですから、相手を納得させて行動させるには、
  • わかりやすく
  • 合理的で
  • 筋が通っている
このような話の展開でないといけません。
 
そのために、論理的である必要があります。
様々な情報をもとに建設的に示された筋道であれば、第三者視点で状況を把握できるので、意思決定もしやすくなります。
 
 
グローバル化で多様な価値観であるため 
また、グローバル化していることや、多様な価値観が認められ始めている風潮も、論理的であることを必要とさせている要因の1つ。
 
 
 
外国人と話したとき、なんか雰囲気違うなぁと感じたことはありませんか?
 
それは、育った環境がまったく違うからです。
言語的な部分もそうですし、社会的にも、経済的にも、いろんな要素が混ざって人は形成されます。
 
 
 
ですが、ネット社会である現代は、すぐに海外とつながることのできるグローバル時代です。
 
アメリカのような、多様な価値観が混ざり合う時代になってきました。
 
 
 
そんな多様な価値観の人が話し合ったら、なかなか意見はまとまりません。
 
想像できると思います。日本人同士でさえもなかなかまとまらないのですから。笑
 
 
 
そのため、言語の壁は一旦無視するとして、
 
誰かに何かをしてほしくて、納得させたいとき、誰から見ても正しいと考えられるような伝え方である必要があります。
 
そのような共通言語的なツールとして、論理的であることが必要となるのです。
 
 
 

論理的になるには?

では、論理的になるにはどうすればよいのでしょうか。
 
方法論はたくさんありますので、どれにも適応できる簡単なことだけ書き留めます。
 
 
客観的事実をベースにする 
まずは、客観的事実をベースにしていく必要があります。
 
注意すべきなのは、事実と意見を混同させないことです。
 
事実だと思っているその情報、本当ですか?
 
情報源がある限り、その情報源も主観的に情報を加工している可能性は大いにあります。
 
客観的事実だと思っていても、自分の主観が多少は入っているはずです。
 
 
しかし、少しでも主観が入ってしまうと、相手を納得させるような客観的事実に基づく論理立てはできなくなります。
 
相手の立場を考えつつ、客観的な事実をベースにしていくことが大前提です。
 
 
つながりを明確にする
次は、つながりを明確にすることです。
 
堅苦しくいうのであれば、「因果関係を明確にする」ことです。
 
先ほど例文にありました、論理的に飛躍しているということ。
 
それは、因果のつながりが明確でないため、保証ができないということです。
 
 
AだからB
 
 
というつながりをしっかり持たせる必要があります。
 
演繹法とか帰納法とかいろいろありますが、今後まとめていこうと思います。 
 
 
論証は「もれなく、かぶりなく」
そして、論理的に話を組み立てるときは、「もれなく、かぶりなく」の概念が非常に大切です。
 
知っている人は知っている、MECEの概念ですね。
 
MECEについて今回は特に触れませんが、もれなくかぶりなく考えていくことが非常に大切です。
 
また今度MECEについてはまとめます。
 
 
 

論理的であればいいの? 

では、論理的であればすべて解決できるのでしょうか。
 
論理的である必要性について、最後に考えます。
 
 
あくまでも納得させるツールとしての論理
なぜ論理的であればいいのかというのは、先ほども説明した通りです。
相手を納得させるためです。
そのための建設的な手段です。
 
 
論理的であることはあくまでも相手を説得させるツールでしかないということを認識しなければなりません。
 
論理的ならすべて解決するのであれば、頭の良い政治家がすべて解決するはずです。
 
そうならないのには、論理的でないことがあるからです。
 
 
人は感情が優先される生き物
そうです、感情は論理的ではありません。
 
本当にややこしいですよね。
論理的では済まされないほど感情はややこしいです。
 
目の前の感情に流されるから、頭の良い政治家でも汚職事件を起こしたりします。
 
違う価値観である外国人との共通ツールとしての論理も、個人単位で捉えたらもっと異なります。
個人の価値観は、まったく同じ人はいないでしょう。
そうすると、世界の人口の数だけ価値観があります。
 
 
 
理性的であればたしかに全員を納得させることはできるかもしれません。
しかし、価値観など感情が介入すると、論理的であることがすべてではなくなります
 
 
 
 

まとめ

いかがでしたか?
 
論理的であれば納得感を強くできる。
けれど論理的であればすべて解決できるわけでもない。
 
とても複雑な生き物ですね、人間は。(笑)
 
だからこそ、奥深くて好奇心がそそられるんだと思います。
 
論理的なスキルも身につけつつ、人間としての魅力も身につけたいと思った、この頃です。
 
それでは!