青空の下でコーヒーを

自分がわからなくなった自分ために、自分を表現するためのブログ

情報、知識、知恵。この違いとは?

どーも!青空コーヒーです!
 
みなさんは、博識な方ですか?
 
博識といっても、まぁいろいろ定義が分かれそうですよね。
 
僕も、頭がいいってなんだろう?ってよく考えたりします。
 
中でも、情報、知識、知恵という3つの言葉は、頭がいいということを別々に定義してくれるかなと思っています。
 
なので、今回はこの3つの言葉の違いについてまとめてみようと思います。
テーマは、
「情報、知識、知恵。この違いとは?」
です!
 
 
目次
 
 

情報とは

まずは情報についてです。
 
定義から一応確認してみましょう。
 
 
 ある物事の内容や事情についての知らせ。インフォメーション。「事件についての情報を得る」「情報を流す」「情報を交換する」「情報がもれる」「極秘情報
 文字・数字などの記号やシンボルの媒体によって伝達され、受け手に状況に対する知識や適切な判断を生じさせるもの。「情報時代」
 生体系が働くための指令や信号。神経系の神経情報、内分泌系のホルモン情報、遺伝情報など。

情報(じょうほう)とは - コトバンク

 
 
まぁ、そういう定義かな、ってところですよね。笑
 
 
でも、普段使っている情報という言葉は、どのような言葉でしょうか。
 
 
情報と似た言葉に、データがあります。
 
よく、情報は事実のリスト、とも言われるんですが、情報とは基本的に事実に対して意味を持ちます。
 
 
なので、データを整理・処理されたものが情報と言われ、データから得られた事実が意味を持ちます。
 
 
 

知識とは

続いて、知識です。
 
また定義を確認しましょう。
 
 
 知ること。認識・理解すること。また、ある事柄などについて、知っている内容。「日々新しい―を得る」「―をひけらかす」「予備―」
「幸福とは何かと云う事を明細に―して了っている」〈長与竹沢先生と云ふ人
 考える働き。知恵。「―が発達する」
 (多く「智識」と書く)仏語。
㋐仏法を説いて導く指導者。善知識。
㋑堂塔や仏像などの建立に金品を寄進すること。また、その人や金品。知識物。
㋒対象を外界に実在すると認める心の働き。
 《knowledge/〈ドイツ〉Wissen》哲学で、確実な根拠に基づく認識。客観的認識。

 

知識(ちしき)とは - コトバンク


 

 
2の定義で知恵と出ていますが、ここでは無視します。笑
 
ほとんどは、1の意味で用いられていますよね。
 
情報との大まかな違いは、情報はデータが整理されて意味を持つもの、知識は知っていること、となります。
 
 
そして明確な違いは2つあります。
 
情報は、誰にも属さない事実です。
しかし、知識は固有のものです。その人が知っているかどうか、ということが知識の特徴の1つです。
 
かっこよくいうと、内在化された情報が知識と言えます。
 
 
そしてもう1つの違いは、この内在化にも関わるのですが、他の情報なども合わせて分析され、理解されたものが知識となります。
 
知識というものは、実際の体験から得るものもあれば、教育などの理論的な形で得るものの2つあります。
 
たとえば、自転車の乗り方は、何回も乗ることで体に染み付いた、経験的な知識です。
 
そして、自転車がブレーキをかけて止まる摩擦などの知識は、理科の授業から得られるものです。
 
このように、様々な情報が経験や教育から内在化され、組み合わさって理解されると、自分の知識となります。
 
 
 
 
また、情報はすぐに手に入るものですが、知識にするには時間やお金などのコストがかかります。
 
何度も自転車に乗らないと自転車には乗れませんし、
 
何度も授業を受けないとテストで答えられませんよね。
 
こういう点でも、知識は情報よりも上位のものだと言えます。
 
 
 
 

知恵とは

最後に知恵です。
 
 物事の道理を判断し処理していく心の働き。物事の筋道を立て、計画し、正しく処理していく能力。「―を借りる」「生活の―」
 
 
こっちでは、知識と同じとは言っていませんね。笑
 
先ほどの知識では、考える働き=知恵としていました。
その点では確かに、この知恵という定義も「働き、能力」という言葉が用いられています。
 
そして気になる言葉がもう一つ、「処理」です。
 
 
 
知恵と似た言葉には、コツという言葉があります。
 
コツって、どんな時に使う言葉でしょうか。
 
料理のコツ、自転車に乗るコツ、洗い物のコツ
 
 
なにかの動作に対してコツという言葉が使われます。
 
つまり、「処理」に対する「能力」なんですね。
 
 
 
なにが言いたいかというと、情報や知識はインプットの言葉なのですが、知恵はアウトプットの言葉なのです。
 
 
まずは、外部環境に身をさらすことで、外部の情報を内在化した知識へと変化させます。
 
そして、その内在化されたものをもとに、特定の目的に対して知識を使うと、その知識が知恵へと昇華されます。
 
 
 
 
また、知恵は他人にとっての新しい情報になる可能性がある、ということがわかりますか?
 
 
情報、知識
 
この2つは、インプットのものなので、自分の立場としてはただ受けるだけです。
 
しかし知恵はアウトプットのものです。自分の中で理解して使えるようになる際に、知識に新たな付加価値がつく可能性が高くなります。
 
そうすると、この知恵が他人に知れた場合、その付加価値の分だけ、他人にとっては新鮮に感じられるため、新たな情報となるのです。
 
 
 

ネット社会で重要なこと

さて、ここからは持論です。
 
最初に言いました、博識という言葉。
 
 
[名・形動]ひろく知識があること。また、そのさま。博学多識。「博識な(の)人」
 
 
博識とは、つまり知識があることです。
インプット量がすごくて、それを内在化している量もすごいのが、博識です。
 
 
では、これも僕が最初に言った疑問なのですが、
 
頭がいいって、博識ということなんでしょうか?
 
 
 
 
僕の答えは、今はそうとは限らない、と思っています。
 
昔は知識をたくさん持っている博識な方が頼られるような時代でした。
 
しかし今はネット社会です。
誰でもいつでもどこからでも、簡単に情報を手にすることができるようになりました。
莫大な情報量が、1秒で数万生まれるような世界です。
 
 
 
 
なので、情報に関する頭がいいとは、「必要な情報にすぐにアクセスできること」だと思います。
 
莫大な情報のなかから、自分が関わる特定の情報に効率よくアクセスできる力は、いまの世界ではとても重要です。
 
その情報の信ぴょう性を含めて、確実な情報をつかむことができる力は、とても重宝される能力であり、僕はこれは頭がいいと言えると思っています。
 
 
 
 
そして知識に関しては、たしかに博識というのは頭がいいと言えると思います。
 
しかし、ただ知識を持っているだけでは、やはりいまの時代はAIのビッグデータには負けてしまいます。
 
なので重要なのは、僕は2つあると考えており、「ニッチな分野の博識であること」、そして「クロスオーバーでの博識であること」だと思っています。
 
ニッチな分野での博識とは、特定の超マニアックな世界での博識という意味です。
 
事実として、いまはマツコの知らない世界」「グレイトジャーニーなど、とてもマニアックな方が注目される世界となっています。
 
これは、ネット社会によって誰でも表に情報発信ができるようになったため、多様性が認められるようになってきたためです。
 
そのため、ニッチなマニアの博識ということが価値あるものとして考えられるようになってきました。
だって、その人しか知らないのですから。オンリーワンであれば、やはり価値はあります。
 
 
 
そして、クロスオーバーでの博識。これは、複数の分野にわたって博識であるということです。
 
たとえば、栄養学についてとても詳しくて、かつ法律にも詳しいとなると、食品加工業などのメーカーからはとても重宝されるコンサルタントになれますよね。
 
また、気象に関してとても詳しく、かつスポーツにも詳しいとなると、トレーニング環境などのアドバイザーになれるかもしれません。
 
 
 
つまり、複数の分野が交差する部分において、とても重宝される人材となることができるのです。
 
複数の分野で博識なのですから、そもそもの処理能力が高いと思いますし、頭はそもそもいいと思います。
 
しかし、多分野にわたりながら知識をまとめることができているのが、より頭がいいと思います。
関連性を見出して、そこから新たな知恵を生み出せる可能性が非常に高くなります。
 
 
 
そして、知恵のある人。
これが今の時代では一番必要な能力であり、必要な人だと思います。
 
ただ情報を集めて、それを自分の中で蓄えるだけだと、自分の中で終わってしまいます。インプットは自分のものになるのがゴールですから。
 
しかし、自分の中にあるものをアウトプットすることで、他人にとっての新たなインプットになることができます。
 
こうして「新しい情報を生み出す」という意味で、知恵がある人は頭がいいと言えるのではないでしょうか。
 
情報処理能力があるのはもちろんのこと、それをある目的に対して的確に応用させることができるのは、とても頭がいいと思います。
 
しかも現代は、ネットによって誰でもアウトプットが簡単にできます。
実際、僕もこうしてアウトプットして知恵にしようとしてるのですから。
 
インフルエンサーと呼ばれるのも、本当に最近ですが、やはり個人の情報発信力が容易にできるようになったために生まれてきました。
 
なのでこの時代は、やはり自ら情報を発信できる人が求められ、社会的にも強くなります。
 
 
 
ここで大切なのが、その知恵に間違いがないこと、そして誰も傷つけないことです。
 
いまは誰でも情報発信できるということは、批判も容易に発信できるということです。
 
炎上騒ぎも、昔と比べたらとても多くなりましたよね。
 
簡単に個人がつながることができるようになったからこそ、こうした批判もすぐに相手に届けることができるようになりました。
 
だからこそ、その知恵をアウトプットした際に、それをインプットするであろう人が困ったり怒ったりしないようにしなければいけません。
 
 

まとめ

いかがでしたか?
 
とにかく重要なのは、情報も、知識も、知恵も、どれも大切ですが、それぞれの段階において重要なことがあります。
 
いま自分がどの段階にいるのかを認識して、その段階でできる最大限の取り組みをするのが、大切なのではないでしょうか。
 
 
 
僕が情報発信しているのは、自分が再びわからなくなったときに、戻るべきところを作るためです。
また立ち止まったりしたとき、わからなくなったときに、ここに戻れば答えが見つかる、そういう場所にしようと思っています。
 
 
無理矢理にでも知恵にすることで、もし忘れてしまったとしてもすぐに情報にアクセスできる。それが僕の目的です
 
 
 
みなさんは、どんな頭のいい人になりたいですか?
 
 
それでは!