青空の下でコーヒーを

自分がわからなくなった自分ために、自分を表現するためのブログ

コンピテンシーとは? 〜業務直結能力を取り入れる上での注意点〜

どーも!青空コーヒーです!
 
みなさんには、モデル的な人が近くにいますか?
 
企業では、必ず模範となる人がいるはずです。
 
もし皆がその模範のような行動をすれば、きっと会社としては成長しますよね?
 
なので、皆が模範のような行動を取れるように、模範となる人物の能力を真似する必要があります。
 
そのすごい能力を、コンピテンシーとも言います。
 
今回は、コンピテンシーの概念について学び、コンピテンシーにおける注意点を学んでいこうと思います。
 
テーマは
コンピテンシーとは? 〜業務直結能力を取り入れる上での注意点〜」
です!
 
 
 
目次
 
 
 

コンピテンシーとは?

まずは、言葉の確認です。
 
コンピテンシーは英語でcompetencyと書きます。
 
英語での意味は、適格性とか出たりします。が、一般的には別の意味で用いられます。
 
それは、「業務直結能力」です。
業務直結能力を簡単にまとめると、
 
「状況に対応した良い判断、効率的な行動」となります。
 
コンピテンシーは、成果を出しているハイパフォーマーの動機、意識、行動をモデル化することで得られるものです
 
 
 
なので、コンピテンシーがある人材は、以下のような特徴があります。
 
・今自分がすべきこと、生み出すべき成果は何かを、いままでのシナリオの延長線上に明確にイメージできる。
・自分の取り巻く環境を客観的に把握できる。
・自分が使える資源(ヒト・モノ・カネ・情報)を確認できる。
 
 
いやぁ、素晴らしい人材ですよね。
 
企業はもちろん、こんな素晴らしい人材を何人も生み出したいと思っています。
なので企業、特に評価する人事たちは、この素晴らしい人材の特徴、つまりコンピテンシーをリスト化します。
 
いろんな項目を設定し、レベルも設定し、行動を詳細にまとめていきます。
 
みながコンピテンシーがあれば、社員の行動が柔軟になり、成果が安定してくるのです。
 
 

なぜコンピテンシーが重要なのか

コンピテンシーは、比較的最近になって認知されてきた言葉です。
 
 
なぜコンピテンシーが重視されるようになってきたのでしょうか。
 
 
 
いままで、評価はおおよそ成果基準でした。
 
売上がいくら、粗利がいくら、成約数がいくつ、そんな感じです。
 
しかし、それはあくまでも結果
結果の前にあった行動、プロセス、そこが見落とされていることが多かったのです。
 
 
成果をあげている人には、一定の行動をしたり、一定のプロセスを踏んでいるかもしれませんよね。
 
そしたら、そういう成果につながる行動特性を取っている人は、きちんと評価するべきですよね。
 
 
 
今の時代は、人間性が重要な時代になってきました。
 
そのため、成果の陰に隠れている、行動の元になっている、性格や考え方、価値観を評価していこうというのが世の中の動きです。
 
そういう見えにくい部分がコンピテンシーなのです。
 
 
 

コンピテンシーの注意点

素晴らしいことだらけに見えるコンピテンシーですが、注意点もあります。
 
今回の本題はここから、コンピテンシーの注意点をざっくりまとめます。
 
行動はなんでもよくない
まず、モデルとすべき行動はなんでもよければいい、ということではありません。
 
というのも、行動とか工夫とかは、その行動を起こした状況によって程度が変化しますよね。
 
だから、一般的にモデル化しづらいんです。
 
緊急時の行動とか、エクセルスキルとか、そういうのは一旦排除します。
 
コンピテンシーでの行動は、用意周到でなければなりません。しっかりと準備されて、練られた行動でなければなりません。
 
 
 
経験は質が大切
コンピテンシーでは、経験が重要視されます。
 
なぜなら、経験を繰り返す上で、それを反省し、次に活かすというPDCAサイクルが重要だからです。
 
しかし、経験もとにかくすればいいというものではありません。
 
コンピテンシーへと近づけていくためには、経験の質が重要です。
 
ここで、経験は通常、
 
経験=(行動⇒プロセス⇒結果)
 
という方程式で解釈されます。
 
ある行動が起こされ、その積み重ねであるプロセスによって、結果が生み出されるといった具合です。
 
このような、経験の内的な部分が重要視されます。
 
 
意図、意識、目的を中心とした評価
コンピテンシーを評価する際は、成果ではなく、行動から評価します。
しかし、ただ行動したところで意味がありません。
 
 
しかも、例えばAさんが成果を出すために行っていた行動がコンピテンシーとして、それをBさんがそっくりそのままやったとしても、あまり意味はありません。おなじ成果が出るとも限りません。
 
行動だけに着目しても、その個人の能力とか、役職とか、環境とか、変化する要素はたくさんあります。
 
 
そのため、その行動がなんのための行動なのかという点を評価しないといけませんよね?
 
 
その評価項目となるのが、意図とか、意識とか、目的です。
 
これらは、すべてその人の動機、価値観から生まれるものです。
 

「なぜその行動をしたのか」

 
そういう、行動の軸となるものを評価することで、コンピテンシーリストは価値を生み出します。
 
 
 
項目はMECE
気をつけるべきは、評価項目はすべてMECEでなければなりません。
もれなく、だぶりなく、評価項目はあるべきですよね。
 
コンピテンシーは概念的な話になってしまうので、どうしても曖昧な定義になりがちです。
 
しかし、人を評価する基準が曖昧では、評価される側は納得しません。
 
きちんとした評価項目を意識するのが重要です。
 
 
 
 

コンピテンシーを取り入れるには?

では、いまコンピテンシーがなくて、身につけようとしている人に向けてですが。
 
どのようにコンピテンシーを取り入れればいいのでしょうか。
およそ3つ方法があります。
 
自分の経験を振り返る
まずは、自分の経験を振り返ることからです。
 
先ほども言いましたが、
 
経験=(行動⇒プロセス⇒結果)
 
です。経験を振り返るとは、結果だけを振り返るのではなく、その結果を生み出した行動やプロセスも含めて振り返ることです。
 
なぜその行動を起こしたのか、そういう自分の意図も振り返りましょう。
 
 
他人の経験を取り入れる
自分だけに目を向けているばかりでは成長しません。
 
コンピテンシーモデルとなる、他人の良い経験を取り入れるように努力しなければいけません。
 
他人がどういう考えでどんな行動をしたのか、常日頃から周りに目を配りましょう。
 
 
継続的に振り返る
ただ経験をするだけではいけません。
大切なのは回数ではありません。
 
経験したことを、意図的かつ継続的に振り返ることです。
 
 
なんども繰り返し振り返ることで、なにが変わってきて、なにが変わっていないのかがわかります。
 
変わっていないけど変えたいと思っていることがあれば、それは現状維持バイアスです。
 
とにかく変えるように、行動に移していく必要があります。
 
 
 

まとめ

いかがでしたか?
 
モデルとなる人の行動や意識を基準としたコンピテンシーは、これから人が評価される上で重要なものになってきます。
 
コンピテンシーを自分に取り入れていくときは、「なぜその行動をしたのか」、それを意識しながら繰り返し振り返って、他人の良いところは真似していくようにしていきましょう。
 
それでは!
 

正解主義は時代遅れ 〜納得と修正が大事〜

どーも!青空コーヒーです!
 
みなさんは、常に正解を求めて生きてはいませんか?
 
「正解主義」と言われるこの考え方。
もう、いまの時代には合いません。
 
なぜ正解主義の考え方になってしまったのか。
どうすれば正解主義の考え方から脱出できるのか。
 
AmazonとかTwitterを例にして、正解主義についてまとめてみようと思います。
今回のテーマは、
「正解主義は時代遅れ 〜納得と修正が大事〜」
です!
 
 
目次
 
 

正解主義とは?

まずは言葉の説明から。
 
正解主義を簡単にまとめると、
「常に正解があると思ってしまうこと」
これでいいと思います。
 
 
この記事の結論は簡単です。
人生のあらゆることに正解はありません。
 
しかし、そんなことはわかっていても、でも正解を探してしまうのが世の中の大多数の人だと思います。
 
僕も実際そうです。
最近はコンサルタントになってからというものの、いろんな問題に目を向けるようになりました。
 
スーツを長持ちさせるにはどうすればいいか。
皿を洗うのに最適な方法は何か。
 
という小さな問題から、
 
日本経済はどうあるべきか。
人生はどうあるべきか。
 
という大きな問題まで。
 
それぞれの命題の答えを探していて、その唯一解があると信じています。
 
 
しかし、もうおわかりの通り、これらの問題に正解はありません。
 
 
正解主義について、まず言えることは2つです。
 
1つは、事前の情報収集は大切だということ。
スーツを長持ちさせるにはどうすればいいか、という先ほどの問題にぶち当たった僕は、まずGoogle先生に聞いてみました。
 
そして、10個ほどページをさらっと見て、良さげな情報だけピックアップして、それを正解だと思って、スーツの手入れをします。
 
でも、実はこの情報収集も、正解主義の発想のうちの1つになりかねないんです。
 
というのも、それをそのまま鵜呑みしている場合は、正解を探していることに過ぎないからです。
 
 
そして2つ目は、状況は目まぐるしく変化していることです。
 
いまはネット社会による、超スピード社会です。
その時々によって、状況はどんどん変わっています。
 
それなのに、常に同じ答えがあるとは、必ずしも言えませんよね?
 
 
情報収集は大事ですが、その情報も状況が変われば使い物にならないかもしれません。
 
正解主義のまま、情報をただ鵜呑みしていると、思いも寄らない方向へと進んでしまう可能性が高くなります。
 
 
 
さらに、情報を収集する力、いわゆる情報処理力は、これからの時代はコンピューターやAIに淘汰されます。
 
情報処理力が重視される世界は、答えがあります。
「3年前のアメリカの消費者態度指数は?」というような、確実に答えのある情報については、正解にいち早くたどり着くことが求められます。
 
ですがこれは、もう人間がテクノロジーには勝てない時代ですし、テクノロジーをうまく利用することが求められる分野です。
 
 
 
つまり、人には情報処理力があまり重視されなくなった、正解主義ではなくなってしまったのが現状です。
 
 
 

なぜ正解主義になってしまったのか

現状として正解主義はあまりいい意味に捉えられません。変わるべきだというのが世論です。
しかし、変化できずに正解主義のままいるのが日本人です。
 
では、なぜ正解主義になってしまったのでしょうか。
主に理由は2つです。
 
古くからの教育体制
1つは、環境要素的な点として、教育体制が古いままで、正解主義を推しているからです。
 
学校のテスト、受験、いろいろ考えてみてください。
選択問題とか、よくありましたよね。
 
出題者から選択肢を与えられ、解答者は正解を当てさせられる。
 
こんな環境になれていたら、どうなるか。
 
問題には答えがあり、その選択肢は他人が示してくれる。その中に必ず答えがある。そう勘違いしてしまうのです。
 
 
また、教育体制としては、マンツーマンでは人的にも時間的にもコストがかかります。
これでは効率が悪いため、どうしても集団授業になります。
 
そして、それはテストや受験でも同じ。統一的に効率的に受験者の判別をするには、選択問題が手っ取り早いんですよね。
マークシートが流行るわけなんです。
 
 
欧米では、討論形式の時間が多くとられています。
しかし日本では、なぜ鎖国することになったのか、それが正解だったのか、という議論をせずに、ただ歴史を学ぶだけです。
 
 
 
失敗したくない
正解主義のままでいる2つ目の理由は、失敗したくないからです。間違えたくないからです。
 
これは、学校での教育で正解と間違いのみという世界で成長したため、それが価値観として染み付いてしまっているから生じる感情です。
 
 
なにが正解かわからない世の中なのに、間違えたらいけないと小さい頃に教えられたから、正解を探す。
 
しかも、一発で正解しないといけないというのが危険な価値観です。
 
たしかに、テストは一発勝負、受験も一発勝負でした。
 
 
しかし、人生は長いです。一発勝負ですべてが決まるなんてことはありません。小さな選択の積み重ねです。
 
 
 

正解主義からの脱出

それでは、どうしたら正解主義から脱出できるのでしょうか。
 
リクルートで教育改革実践家の藤原先生が、正解主義と調べるとよく出てきます。
 
彼の意見をベースにしつつ、世界的な実例を取り上げて、まとめようと思います。
 
正解主義から修正主義へ
藤原先生のキーフレーズは、「正解主義から修正主義へ」です。
 
いままで正解主義だったが、そもそも社会の多くのことにおける正解は誰にもわかりません。
 
だから、正解を探すのではなくて、とりあえず行動して、それから修正していくことが大事です。
 
 
このとき求められるのは、情報をただ集めるのではなく、それをどう理解して使うのか、という情報編集力です。
 
もっとわかりやすいのが、ジグソーパズル型からレゴ型へ、という言葉です。
 
 
正解主義では、常に100%を求めるので、完成形がすべてでピース1つ欠けてはいけないジグソーパズル型です。
 
しかし修正主義では、参考例はあるものの、一度でその完成形になるのは難しく、都度修正が必要です。そして、参考例通りに作らずに、独創的に作ることも構わないのです。それがレゴ型
 
 
大切なのは、その完成形が自分にとって納得するかどうか
 
つまり、修正主義で大切なのは、正解ではなく納得感す。
 
 
とりあえず行動してみる
つまり、修正主義では最初から100%を求めなくていいのです。
 
どういうことかといえば、とにかく一歩踏み出せということです。
 
 
一度とりあえずやってみて、多少の失敗はあるものの、そこから得られることの方が大きいんです。
 
失敗は成功の元、という概念ですね。
 
 
 
社会に出たら、4択問題はありません。
むしろ逆です。
自分で4択を作り、仮説のもと、まずどれかをやってみて、よければそのまま、ダメなら修正する。
そんな試行錯誤をして納得解を探すことが、社会では求められるのです。
 
 
だから、学校でもそういう教育をするべき、というのが藤原先生の意見です。
 
実際、藤原先生が運営する学校で作られた「よのなか科」という場所では、「なぜ戦争は起こるのか」「もし別の選択肢を選んだら」、という議論をしているそうです。
 
そして、そのトピックの専門家をゲストとして招き、プロが子供の意見を促して、褒めてくれるそうです。
 
そんな環境なら、子供でも自己肯定感が高まりそうですし、自分で考えること、自分で正解を作ることの面白さを感じてくれるでしょう。
 
ゆとり、脱ゆとり、そういう問題ではありません。
 
子供を正解に誘導させるのではなく、子供自身に正解を考えてアウトプットしてもらうことが最も重要なんですね。
 
 
AmazonTwitterを例に修正主義を考える
では、実例から修正主義について考えましょう。
 
一番いい例は、GAFAと呼ばれる企業ですね。
デジタルプラットフォーマーと呼ばれる、Google, Apple, Facebook, Amazonの4企業です。
 
この4企業は、まさに修正主義です。最初から成功なんてしていません。
 
僕はりんご信者なので、iPhoneをずっと使っています。
iPhoneを使われる方ならよくわかると思いますが、アップデートが多いですよね。OSも、機種も。
 
あれはどういうことかというと、とにかく商品を世に出して、世間の声を集めて、それに合わせて修正していく、という方針を取っているからなんです。
 
Amazonも、Googleも、いまでは欠かせない存在として私たちの生活に入ってきています。
 
しかし10年前に戻って考えてみてください。あなたの生活に、本当にAmazonGoogleはいましたか?
 
 
おそらく、知っていた人はほとんどいないでしょう。
 
でもかなり前から2つの企業はありました。
 
サービスを世に出して、積極的に意見を取り入れて、修正して、世に出して、というサイクルをひたすら繰り返したんです。
 
そうしたら、あらゆる人を満足させる、最高のサービスになっていったんですね。
 
 
 
もう1つ例を。Twitterとかどうでしょう。
 
最初は、正直あまり評判はよくありませんでした。
しかし、だんだんとセキュリティ関連やサービス面で改善されていき、多くのユーザーを集めるようになりました。
 
 
世界における成功者は、みな修正主義です。
とにかく70点くらいで世に出して、意見をもらうことができているんです。
失敗を恐れずに、間違えてもいいから、そこからやり直すという強い気持ちがあります。
 
 
日本企業は、最初から正解を求めがちです。LINEとか楽天みたいな修正主義の会社こそが、これからの時代は成功していきます。
 
そして、それは人も同じ。
いつまでたっても100%まで精度を高めてから資料を提出しようとする部下と、とりあえずの形で上司に出して意見を入れて資料の修正をする部下。どちらが求められる部下でしょうか。
 
 
 

まとめ

いかかでしたか?
 
常に正解を求めてしまう正解主義は、もう時代遅れです。
 
今の時代は、修正主義です。レゴ型です。amazonGoogleを真似してください。
 
考えていてばかりで進まないのは問題です。
とにかく一歩踏み出して、そこで得られた結果をもとに判断して修正する、修正主義型人間になっていきましょう!
 
それでは!
 
 
 

 

計画的に生きるべき?それとも本能のままに生きるべき?

どーも!青空コーヒーです!
 
みなさんは、計画的に生きていますか?
それとも、本能のままに生きていますか?
 
この話は、とても極論に分かれますし、いまも議論が続いています。
 
どちらがいいとは言い切れない部分があるとは思いますが、僕なりの意見をまとめておこうと思いました。
 
今回のテーマは、
「計画的に生きるべき?それとも本能のままに生きるべき?」
です!
 
 
目次
 
 
 

計画的に生きること

まず、計画的に生きることについて。
 
メリットもデメリットもあります。
どちらも言及しようと思います。
 
 
人間らしい生き方
ちょっと大きい言い方をしてしまいましたが、計画的に生きるというのは、実に人間らしい生き方なんです。
 
なぜか。
 
それは、脳の仕組みから言えます。
 
 
脳については別記事で書いてあるので、そちらをご覧ください。
割と読んでもらってます。笑
 
 
脳は、何重にも包まれているようなイメージでいてください。
そして、中心部ほど原始的なんです。
 
つまり、魚類とかに通じる生存に関する機能が中心にあって、感情に関する機能が生命機能を包むように存在して、
 
理性的に考えるヒトの機能が大きく脳を包み込んでいるんです。
大脳新皮質、これがヒトをヒトたらしめている機能を持つ脳の部分です。
 
 
 
計画的に生きるというのは、つまり理性的に生きることです。
本当だったら、ずっと寝ていたいかもしれませんし、ずっと女と遊んでいたいかもしれませんし、ずっとゲームしていたいかもしれません。
 
しかし、そういう情動や欲望を抑えて、平日は仕事する…というのは、実に理性的な生き方です。
 
これは、人にしかできない生き方です。
 
人間味たっぷりに、考えて、何かを作り出して、そんな生き方は人間だけの特権です。
 
では、人にしかできない生き方を、なぜ人がしようとはしないのでしょうか。
 
 
 
計画倒れになることが多い
理性的に生きてはいるんですけど、それでもうまくいかないことが多い。
それが現実だと思います。
 
なぜか。
 
これは簡単です。
計画がうまくいかないからです。
 
 
 
これに関しては、僕のブログではたくさん説明しています。
 
現状維持バイアスとか、楽観バイアスとか、闘争・逃走反応とか。
 
 
本能を理性でコントロールできない、それが現代人の悩みのタネであることがほとんどです。
 
 
夢があって、それを追いかけるために長期的な計画を立てて、実行するんだけど、全然うまくいかない。
 
それは、人が変化を恐れて、未来の自分に責任転嫁をして、いまの自分が楽しければいいという、実に動物らしい考え方も持っているからなんです。
 
 
 
 

本能のままに生きること

というわけで、計画的に生きるよりも動物のように本能のままに生きる方がいいんじゃないか、という意見も出るわけなんです。
 
目の前の楽しさがすべて
 
代表的な例が、ホリエモンさんですよね。
ちょっと長くなるんで、以降敬称略で失礼します。
 
 
ホリエモンに関する記事は、ぜひこちらをご覧ください。
 
 
ホリエモンは先の記事からわかるように、とにかく面白いことを求めて行動しています。
 
今こそすべて、今ワクワクすることのために生きています。
 
 
 
大人になると、先ほど言及した理性的な大脳新皮質が発達してきます。
 
そうすると、物事を理性的に判断するようになります。
そのため、周りに合わせようとする、謙虚な日本人の社会風土に自分を合わせようとします。
 
 
 
人生に目的を持たせたところで、それが計画倒れすることが多い。
 
じゃあ、人生がそんなもんなら、いま楽しければいいじゃん。
 
いつ死ぬかわからない人生。
 
いま楽しまなくて、死ぬときに何が残るのか。
 
 
 
この意見にどうやって反論しますか?
 
 
 
楽しさを継続させるための計画
 
じゃあ、ホリエモンはなにも計画とか目的がないかと言ったら、そんなことはないですよね?
 
いまだと、民間初のロケットの開発に全力です。
 
ロケットの開発を考えればわかると思いますが、なにも計画なしで物事は進まないですよね?
 
ロケットを飛ばすという、最高にワクワクする目的があって、
 
それにたどり着くまでは、やはり計画があります。
とても理性的に物事を進めます。
 
 
 
その一瞬の「こうしたい!」という情動のままに生きる方が、モチベーションには繋がります。
 
しかし、目的を達成したい!という長期的な意味では、なんとなく矛盾が生じてきます。
 
 
長期的な計画をもとにする生き方。
短期的な情動をもとにする生き方。
 
 
どちらがいいんでしょうか?
 
 
 

結局、どう生きればいい?

今回のまとめです。
 
いろいろ言ってきましたが、結局どう生きればいいんでしょうか?
 
僕なりの答えですが、
 
 
 
 
 
どっちもやる!!
 
いいとこ取りをして考えてみましょう。
 
 
本能に従って目標を設定する
 
やはり、最終的な目標に向かうには、モチベーションが肝心です。
絶対的に達成したい、ワクワクした楽しさを感じることができる目標がいいですよね。
 
まずは、自分の本能に従った目標設定がいいと思います。
思い切った夢でも構わないと思います。
 
 
 
ワクワクのための計画を練る
 
しかし、楽しさだけでは物事は進みません。
計画を立てるという、人間にしかできないステップをここに挟むのです。
 
ちゃんと計画を決めておかないと、人は不安に感じるものです。
 
見える未来に人は希望を持ちます。
 
しっかりと目標までの階段を意識して、一つ一つ登れるように、タスクを割り出していきます。
 
 
 
しかし、ここで問題が生じます。
 
計画倒れ。
 
これを防がないといけません。
 
ここが今回のポイントです。
 
 
 
 
原点回帰して、情動のままにタスクをこなす
 
大切なのは、目標を達成すること。これに尽きます。
タスク達成は、あくまでも通過点。
通過点でつまづいてもしょうがないですよね。
 
 
 
ちらつく他の欲望に目がくらんだら、原点回帰です。
 
なぜこのタスクをしようとしているのですか?
最初の動機を思い出す必要があります
 
 
 
 
そして、その長期的な目標に向かうためのモチベーションと目の前のタスクを重ねるのです。これが一番大切なことです。
 
 
ロケット開発を例にすると、目の前の図面作業とか点検作業は、とてつもなく地味でやりがいもないと感じてしまいます。
 
しかし、ロケットを飛ばすというとてつもないワクワクのためのモチベーションがあったからこそ、その作業をしているはずです。
 
 
ですから、想像するのです。
この作業の先に見える未来を。
 
この部品がなければ、ロケットは飛ばない。
この点検にミスがあったら、ロケットは飛ばない。
 
そうすると、目の前の作業に意味があることを理解できます。
 
 
 
 
こうやって、最終的な目標へのモチベーションを、目の前のタスクをこなす際に重ねる必要があります。
 
それさえできれば、どんな目標でも達成できるんじゃないか、って最近僕も思えてきました。笑
 
 
 
 

まとめ

いかがでしたか?
 
まとめると、
 
  1. 本能のままに目標設定して、
  2. 理性的に計画をたてて、
  3. 本能のままにタスクをこなす。
 
という、本能と理性のサンドイッチ構造による生き方がいいんじゃないかと僕は思います。
 
 
 
やっぱり、人生楽しい方がいいですよね。
 
でも、楽しいだけではより良い生き方にはつながりません。
 
うまく理性で本能をコントロールしていく必要があると思います。
 
 
成功者は、理性による本能の制御がとても上手だったんだと思います。
 
本能というエンジンは、とてつもない爆発力を持っています。
それを理性というハンドルとアクセル、ブレーキでしっかり制御している、そんなイメージです。
 
 
 
 
僕もこのブログは、いかに理性で本能をコントロールするか、という命題に対する答えを見つけるために書いているといってもいいかもしれません。
 
自分なりの答えを探していこうと思います。
 
それでは!
 
 
 
 

人を見下す理由

どーも!青空コーヒーです!
 
みなさんは、人を見下したことありませんか?
 
僕は正直、そういう時もあります。
 
人は誰かと比べないと自分がわからない生き物なので、どうしても優劣をつけてしまいがちです。
 
他人の不幸は蜜の味とも言われます。
 
人の不幸話ほどよく覚えているものですよね。
 
それだけ人は他人を見下してしまう生き物なんです。
 
 
でも、人を見下していてばっかの人って、本当に優れているんでしょうか?
 
今回のテーマは、
「人を見下す理由 〜自己評価を高くして面子を保つ〜」
です!
 
 
 
目次
 
 
 

人を見下す人の特徴

 
まず、人を見下す人の特徴についてまとめていきましょう。
 
 
自己中心
まずは、自己中心の人が人を見下します。
 
自分が中心なので、自分が判断基準となります。
そうなると、自分と違う人は間違いという判断になり、優劣として他人を劣等とみなすのです。
 
よくありますよね。自分の当たり前は他人の当たり前ではない。
でも、相手の気持ちも背景もなにも汲み取ることができないので、自分中心で考えてしまうのです。
 
 
 
自己愛が強い
なぜ自分中心なのかというと、自分が好きだからです。
 
ようするに、ナルシストということです。
 
自分は他人とは違うんだ、俺すげぇ!
自分大好き!
 
という感じですかね。
 
 
完璧主義
自分が大好きな人は、とても自分に厳しいんです。
いわゆる完璧主義と言われるものです。
 
いろんなことにこだわるのですが、それが自分だけじゃなくて他人にも波及します。
 
こんなにすごい俺がやっているんだぞ、お前もやれよな?
 
という感じです。
 
 
 
実は自分に自信がない
そして一番大切なのがこれです。
 
人を見下すような、自分が大好きな完璧主義者さんは、
実は自分に自信がないのです。
 
本当はとてもネガティブ精神で、ストレスはためがちです。
その溜まったストレスを発散させるのが、人を見下して自分を相対的に優れたものと見ることなのです。
 
 
自尊感情がとても低いからこそ、それを補う何かが必要なんです。
 
それが、人を見下して自分を勝者に祭り上げることなんです。
そういう勝ち負けでしか判断できないんです。
 
また、自分の判断基準で動いているからこそ、自分が間違っているとは決して認めたがらないものです。
 
それが無駄なプライドを生み出し、どんどん人から嫌われていくんですね。
 
 
 
 
 

人を見下してしまう理由

 
では、なぜ人を見下してしまうんでしょうか。
なぜ自分に自信がないんでしょうか。
 
もう少し、掘り下げて考えてみましょう。
 
小さい頃の価値観
まずは、小さい頃に形成された価値観が、人を見下してしまう原因です。
 
なかなかこれは変えられないですし、人が変わるのが困難なのもこれが理由です。
 
 
 
これには2つパターンがあって、褒められてきた人と、褒められてこなかった人です。
 
 
まず、たくさん褒められてきた人は、おそらく叱られてもこなかったので、失敗経験が少なくなります
 
つまり、完璧です。
 
そうなると、完璧じゃないと他人から認めてもらえないという価値観になってしまいます。
 
このパターンは、多少の自尊心はあります。だってある程度は成功してきていますから。
あとは、他人を受容できない場合、自己中心的になってしまい、人を見下すという悪い方向に傾いてしまいます。
 
 
 
そして、褒められてこなかった人について。
褒められなかった分、その人に蓄積する感情は、嫉妬です。コンプレックスです。
 
他人に対して嫌悪感を抱き、自分がとにかく上に立つために、人を見下すような癖がついてしまいます。
 
本当に小さいことでも他人が自分より劣っていることを見つけては、自分より下の存在がいるということで得られる優劣感や安心感を得たいのです。
 
 
 
承認欲求
とくに先ほどの、褒められなかった人が人を見下すようになります。
 
それは、承認欲求があるからです。
 
自分が見下されたという経験から生まれる悔しさが、これ以上見下されないようにというプライドを生み出します。
 
その反面で生まれる、自分を優等だと認めてほしい承認欲求が生まれます。
 
でも、そんな素直なことは言えません。プライドが邪魔をします。
 
だから、人を見下して上に立とうとするんです。
上に立つんだから、俺はすごいだろ?という風に。
 
 
平均点以上効果
 
「自己評価は、客観評価よりも高くなる」
 
という平均点以上効果と呼ばれるものがあるそうです。
 
どういうことかというと、
周囲が自分に行う評価よりも、自分が自分に行う評価を若干高めにすることで、小さな優越感を得るということです。
 
 
なかなか自分の評価ってわからないですよね。
他人からのフィードバックがないからです。
 
だから、自分で自分のことが認識できなくなります。
すると、平均点以上効果によって自分を支えるのです。
 
 
ついでに言うと、できない人ほど平均点以上効果が強いそうです。
 
頭の悪い人、嫌われがちな人ほど、自己評価が高くなって客観評価との乖離が起こるそうです。
 
まぁ、わかりますよね。
乖離があるというのは潜在的にはわかってて、それをわかりたくないからこそ自分で自己評価を上げておかないと、やってられないんです。
 
 
コミュニケーション不足
そして、いま言ってきた3つすべてに共通してくるのが、コミュニケーション不足です。
 
 
現代はサザエさんのような家庭ではなく、核家族化になってきています。
 
そしてインターネットの普及によって、人とのコミュニケーションが昔より減ってきました。
 
ちゃんと心と心を通わせるようにさえすれば、適度に褒められて適度に叱られることで、価値観がおかしい方向に進まなかったかもしれません。
 
ちゃんと人と喋ることで自分というものをわかってさえいれば、無駄に承認欲求を満たそうとはしなかったかもしれません。
 
ちゃんと周りと価値観を擦り合わせて正しい自己評価さえできていれば、無理に自分を上にしなくても済んだかもしれません。
 
 
 
 
とにかく、殻に閉じこもりがちな人ほど、過大評価をしがちな人になります。
 
殻に閉じこもるほど、自分しかいないので、自分を正しくしようとしなければいけません。歪んだ価値観が生まれます。
 
しかし人と比べることも少ないために、自分の正確な立ち位置がわからなくなります。
 
さらに、閉じこもっている分だけ承認欲求が不足しているので、とにかく人に自分の価値を委ねてしまいます。
 
しかし正確な自分の立ち位置がわからないために、無理して上に立とうとして、人を見下すことしかできなくなってしまうのです。
 
 
 
どこから直せばいいかというと、
 
自分だけでなく相手も正しいということを認めること。
ありのままの自分を受け入れること。
 
これに尽きると思います。
 
 
 
 

人を見下さないためには?

 
では、人を見下さないためには、どうすればいいんでしょうか。
本当に自分を変えたいと思っている人は、ぜひ読んで自分と向き合ってください。
 
また、周りに人を見下してばかりの人がいるという方も、どうすればいいのかを少しだけ書いています。
 
 
自分の考え方を知る
まずは、自分がどういう考え方をしている人間なのかを知ることです。
 
おすすめなのは、とにかくアウトプットすること。
 
手書きでも、こういうブログの形でも構いません。
 
人に見せるものでなくていいので、とにかく言葉という形にすることです。
 
言葉という形にすれば、それは自分のものだけでなく、相手にも共有できるもの、つまり他人でもわかるものになります。
 
自分の殻に閉じこもっている人は、考え方も自分の中にしかないので、他人からはわかりません。
 
まずは言葉にすることから始めましょう。
 
 
完璧が難しいことを知る
 
言葉にすると、自分が細かいことにこだわっているか、など価値観について客観的に気づくことができます。
 
完璧というのは、とても難しいです。
 
別記事に書いたので、そちらをご覧ください。
 
 
とにかく、自分の価値観が歪んでいるんだ、正しいとは限らないんだ、そういう自覚を心の底からすることが大切です。
 
 
弱さを知っているほど強いことを知る
自尊心がないほど人を見下すと言いました。
 
ですので、自尊心を持つことが非常に大切です。
 
そのためには、自分が弱いということを認めないといけないんです。
 
ワンピースのルフィも、俺は弱い!ということを兄エースを失ってから気づきます。
なにも守れない自分の弱さに気づいてから、でもそこで残っている仲間の存在を糧にして、再び海賊王への旅路に戻ります。
 
 
自分の弱さを知っている人ほど、実は強いんです。
 
僕のブログで一番読まれている記事なので(なぜかはわかりません。笑)
ぜひこちらをご覧ください。
 
 
 
他人と積極的にコミュニケーションをとる
自分の考え方を知って、自分の弱さを知ったら、あとはどんどん他人とコミュニケーションをとることです。
 
自分の考え方がいかに正しくないかを知るためにも、価値観の幅をもたせるためにも、とにかく他人を知ることが大切です。
 
 
そして、そうやって他人の考え方を受け入れれば入れるほど、他人は自分を受け入れるようになります。
 
これは返報性の原理とも言います。
 
他人の承認欲求をこちらから認めてあげるのです。
そうすると、相手もこちらの承認欲求を認めたくなってきます。
 
 
 
とにかく大切なのは、ブレない自分を作ることです。
 
 
相手は変わらない
そして重要なのは、相手は変わらないということです。
 
自分の考え方をなんとか方向修正することはできても、相手の価値観はなかなか変えられません。
 
 
なので、もし相手が人を見下すような人であれば、それはそういう人なんだと相手にしないことが大切です。
 
もしやり返そうとしたら、逆に復讐されます。
勝ち負けでしか判断できない人なので、こちらから逃げる方が無難です。たとえ相手が明らかに間違っていても。
 
そんな一瞬の勝負にこだわる人は、相手にしてはいけません。
 
 
 
逆に利用するくらいの方がいいと思いますよ。
相手が人を見下す人であれば、相手が欲している承認を与えてあげるのです。
 
とりあえず褒めて持ち上げておけば、相手は自分のことを味方という風に思います。
 
そうやって相手の内部に入り込むくらいの方がまだいいです。
 
 
 
 
よくある話は、馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない、という話です。
 
相手に実際に行動させるのは、それくらい困難ということです。
 
特に習慣とか価値観とかは、自発的にさせなければ変わりません。
 
なので、相手はなかなか変わらないから、なら自分が変わろうと判断して、相手への接し方を変えるくらいの心持ちでいましょう。
 
 
 

まとめ

いかがでしたか?
 
人を見下す、その原因はけっこう根深いです。
その人の生まれ育った環境、コミュニケーション不足が大きいです。
 
もし本当に変わりたいのであれば、まずは自分をしっかり認めることからです。
 
けっこう大変な作業にはなりますが、それをすることでしか見えてこないものもありますよ。
 
 
人と一緒に生きる、そういう価値観になれるといいですね。
 
それでは!
 

海外旅行後、日本に対して思うこと

どーも!青空コーヒーです!
 
みなさんは、海外旅行に行ったことはありますか?
 
僕は、まぁまぁ行っているほうだと思います。
 
 
ハワイ、オーストラリア、グアム、フランス、フィリピン、スペイン、モロッコカタール、イタリア
 
 
中南米はいつか行きたいですね。
 
と、まぁこんな感じで、海外には行っているんですが、そこでいろいろ思うことがありました。
 
本来は海外から帰ってきたときに書くべきだったんですが、なんとなく書いていなかったので、いま書いておこうと思います。
 
テーマは、
「海外旅行後、日本に対して思うこと」
です!
 
 
目次
 
 

日本人は教養が低い

まずは、日本人の教養の低さです。
 
教育と教養は、また別物だと思っています。
 
定義の確認をしましょう。
 
教育
 ある人間を望ましい姿に変化させるために、身心両面にわたって、意図的、計画的に働きかけること。知識の啓発、技能の教授、人間性の涵養(かんよう)などを図り、その人のもつ能力を伸ばそうと試みること。「教育を受ける」「新入社員を教育する」「英才教育
 学校教育によって身につけた成果。「教育のある人」
 
教養
 教え育てること。
「君の子として之(これ)を―して呉れ給え」〈木下尚江良人の自白
㋐学問、幅広い知識、精神の修養などを通して得られる創造的活力や心の豊かさ、物事に対する理解力。また、その手段としての学問・芸術・宗教などの精神活動。
㋑社会生活を営む上で必要な文化に関する広い知識。「高い教養のある人」「教養が深い」「教養を積む」「一般教養 

教養(きょうよう)とは - コトバンク

 
 
ちょっと違いが分かりづらいかもしれません。
 
大きな違いとしては、学校という部分。
 
教育は、学校という言葉が定義に入ります。
一方の教養は、学校に限りません。
 
 
そして、英語だともっと違うんですよね。
 
教育は、educationです。
一方の教養は、cultureなんです。
 
教育は、なんとなく受動的なイメージがありませんか?
一方の教養は、自発的に大人になってから身につけるものというイメージがありませんか?
 
 
 
 
日本人は、教育制度はかなり整っています。
なので、教育はあると思っています。
 
しかし、教養がないととても感じます。
 
海外、特にヨーロッパに行った時ですが、皆が文化的な背景をとても熱心に勉強している様子が伺えます。
 
フランスの凱旋門、スペインのサグラダファミリア、イタリアのコロッセオ、いろんなところで思いました。
 
欧米人は、概して教養がある人が多いです。
 
一方で、日本人は教養はあまりないかなと思います。
 
寺とか神社とか、その違いを説明できない人も多いと思いますし、葬式とかも詳しくないと思います。
 
 
 
まぁ、宗教的な背景がとても大きいとは思います。
キリスト教が広く浸透している欧米に対して、いまの日本はどうでしょう?
決して仏教ではないと思います。クリスマスとかで盛り上がっているんですから。
 
日本に帰ってからは、お金とかネットに関する教養もまったくないなと痛感します。
 
そういう、学校外で学べることに関して疎いのが、日本人の特徴なのかなと思いました。
 
 
 

日本の英語教育は改善すべき

フランスとフィリピンに行ったときに強く思いました。
 
日本の英語教育は、ほんとうに教育しているのか?と。
 
 
僕が大学1年生のときにフランスに行きましたが、田舎のおじさんでも、皆カタコトの僕よりも流暢に英語をしゃべっていました。
 
 
そして、大学3年生のときのフィリピンです。
このときは英語を勉強しに私費で留学していました。
 
ストリートチルドレンに囲まれることもしばしば。
お金をせがむだけなので、特に怖くはありませんでしたが、まぁそんな社会です。
 
 
あるとき、おとなしくじっと座っているストリートチルドレンがいました。
 
ちょうど僕も暇でしたし、比較的安全で人通りも多い場所だったので、思い切って声をかけてみました。
 
何歳?なにしてるの?お母さんは?学校は?
 
すると、全てしっかりした英語で返してくるではありませんか!?
 
 
お金がなくて、ろくに学校にも行くことができないストリートチルドレンです。
 
そんな10歳も満たない彼らが、20歳そこそこの日本人学生と対等に英語でしゃべっているのです。
 
これは衝撃的でした。
 
普段は「Money!」しか言わない彼らだったので、英語はてっきりわからないと思っていました。
 
しかし、ストリートチルドレンですら英語が話せるのがフィリピン。
 
一方、ヤンキーの日本人が英語をしゃべれるでしょうか?
 
都会で働く一流のサラリーマンですらしゃべれないのが半数というのが日本の現状でしょう。
 
 
 
なぜこんなことが起こりうるのか。
 
やはり、日本の英語教育というのはダメなんだなと痛感しました。
 
ただ文法的に学んでいるだけの日本では、生きた英語力は身につきません。
 
生きるための英語を身につけているフィリピンに、これからどうやって国全体でグローバルで勝負していけばいいのでしょうか。
 
 
 
やり方をいろいろ改めるべきだと本当に思っています。
 
僕自身がそこまで英語を喋れる人ではないので大きな声では言えませんが、日本人は英語を喋れなすぎです。
 
このままでは、いつか世界の中で日本はガラパゴスになります。
 
 
 

儚さという美しさは世界共通

 
悪いことばかり目につきましたが、いいところもありました。
 
儚さという美しさ、これは世界共通でした。
 
 
日本でも、諸行無常という言葉があるように、一瞬の儚さに対する美というのはありました。
 
芸術でも、一瞬しか維持できない芸術品というのは、とても価値があるとされてきました。
 
氷の彫刻とか、まさに一瞬の美ですよね。
 
 
桜とかも、ひとときしか咲かないからこそ美しいと思われます。
 
 
音楽もそうですよね。二度と同じ音は奏でることができない、だからこそこの演奏に価値があるという、これも美です。
 
 
そういう諸行無常の美は、世界でも共通でした。
 
ロッコでは特に感じました。
 
自然界の中で、不安定の中で成り立つ美。
 
儚さを感じるこの一瞬、そこに美しさを感じる。
 
 
 
この感覚は、世界でも共通でした。
 
ちょっと伝えきれていないと思いますが、日本人が大切にしている美の感覚、これはもっと世界に訴えていくことができるものだと思っています。
 
 

まとめ

まとめもなにもないんですけどね。笑
 
 
日本には、いいところも悪いところもあります。
 
特に教育とか教養とかは、もっと見直すべきだと思います。
 
しかし、美に関する感性は、もっと押し出していくべきだと思いました。
 
 
 
もっとグローバル志向な日本に、東京2020後になるといいですね。
 
 
それでは!
 
 
 

落ちるときはとことん落ちよう!

どーも!青空コーヒーです!
 
みなさんにとって、今まで生きてきた中で一番辛かったことはなんですか?
 
 
別れ、失恋、失職、死別、
 
おおよそ辛いものほど、失うことの方が多いんですよね。
 
 
死にたくなるくらいにつらい時は、僕は誰にでもあると思っています。
 
そういう落ち込んだとき、一体どうすればいいのか。
 
僕は実体験でもありますが、とにかく落ち込んだ方がいいと思います。
 
今回は、落ちるときはとことん落ちるをテーマに、
「落ちるときはとことん落ちよう!」
です!
 
 
 
目次
 
 
 

どんなときに落ちるか

まずは、どんなときに人は落ちるのかを考えていきましょう。
 
最初にも言ったように、
別れ、失恋、失職、死別、とにかく自分が今まで持っていた何か失うときに人は落ちやすくなります。
 
 
いままで当たり前だと思っていたものが失われると、人は悲しくなるものなんですね。
 
 
あとは、仕事や学校生活での失敗とか、そういうメインの活動でのつまづきでも、人は心が落ち込んでしまうことがありますね。
 
 
あとは、いわゆるメンヘラと言われる人には多いんですが、
なぜ自分が落ちているのかもわからずに落ちている場合もあります。
 
 
なので、落ちるときにはおおよそ、理由がはっきりしているときと曖昧なときで2パターンあると思います。
 
 
 
 
僕の実体験の場合は、恋愛と研究の2つが同時にダメになりました。
 
一生寄り添って生きていけると思えた恋人を失い、
 
転々としていた研究テーマがまたうまくいかないという結果にぶち当たり、
 
これが両方ほぼ同時に起こりました。
 
いわゆる、仕事もプライベートも、なにもうまくいかない状態です。
 
 
 
もう、あぁ、俺はなんで生きているんだろう。
 
なにも成功しないし、生きがいと呼べる人もいなくなったし、
 
なんで俺は生きているんだろう、
 
 
と、落ちました。
 
普段はこれでも、あまり落ちない方の人間だと思っています。
なんとかなるさ精神が少しはあると思っていました。
 
ですが、このときばかりは、どうにもなりませんでした...
 
 
 
 
 
みなさんにも、そういう時があるかと思います。
 
てか、ある人がこの記事は読んでいるのかなと思います。笑
 
 
 

落ち込んだ時の対処法

普段の僕のブログなら、なぜ落ちるべきかを先に説明するのですが、今回はまず落ち込んだときの対処法をまとめてみます。
 
 
ひたすら泣く
涙活という言葉も生まれましたよね。
 
ただただ泣くという行為も、落ち込んだ身にはよいそうです。
 
心のデトックス効果とも言われる涙活は、涙を流すだけですっきりする効果が得られます。
 
落ち込んでいないときでも、感動する映画を見て泣いたりするだけで、普段実はかかえているストレスを解消することにつながったりします。
 
 
僕のオススメの涙活用映画はレ・ミゼラブルなんですけど、まぁ長いんで、本当に無理ってときには見るといいかなと思います。笑
 
 
 
歩く・体を動かす
ひたすら歩くのも、落ち込んだ身にはいいですよ。
 
重要なのは、とにかく無意識的にでも体を動かすような運動をすること
 
歩く、ランニング、自転車、このあたりでしょうか。
 
体を動かしていると、頭で考え事をしなくてもよくなります。
 
頭の中がすっきりしてきます。
 
僕も落ち込んだときは、自転車で2時間くらい走って、めちゃくちゃおいしいつけ麺を食べるだけの旅行をしたことがあります。笑
 
 
 
 
お風呂に入る
風呂に入るのもとってもいいです。
 
外から身を清めるだけでなく、中から身を清めてくれそうな気もしますしね笑
 
温泉に入るとストレスが解消されるという話もありますし、
とにかく、一糸纏わず水に体を埋めるというのは、体だけでなく心も解放されるのかもしれませんね。
 
 
ハグをする・撫でる
こちらは別記事でも紹介していますが、
 
人は触れ合うことで、信頼ホルモンと呼ばれるオキシトシンを分泌するようになります。
 
オキシトシンには抗鬱効果もあるので、誰かとハグをしたり、ペットを撫でたり、好きな人の声を聞いたり、マッサージを受けるだけでも効果があります。
 
 
美味しいものを食べる
美味しいものを食べるのももちろん効果はあります。
 
基本的には、落ち込んでいる原因=ストレスという解釈ができるので、ストレス解消をすればいいのですから。
 
ストレスとは、つまり自分を抑え込んでいるなにかです。
 
なので、抑え込まれている自分を解放するように、本能のままに好き勝手にすればいいんです。
 
 
太らない程度に、次の日に影響が出ない程度には、美味しいものをいっぱい口にしたり、お酒をたらふく飲んだりするのもいいかもしれません。
 
 
 
ひたすら寝る
ずっと布団と恋人になって寝るのもありです。
 
落ち込んでるんだから、なんにもやる気がなくなっても当然です。
 
何を見ても、何を聞いても、頭に入ってこなかったりします。
 
そういうときは、なにも考えなくて済むように、とにかく寝るのはありですよ。
 
 
ただし、「頑張れ」はNGワード
落ち込んだときの対処法でよくあるのが、「頑張れ」と自分を励まし、他人から励まされること。
 
頑張れよ。
 
そんな大したことないじゃん。
 
なんも気にすることないよ。
 
次があるって。
 
さぁ、立とうよ。
 
 
 
でも、こういう言葉って、落ち込んでいるときにはNGワードだったりします。
 
僕も落ち込んだときに言われました。
やめるなよ、逃げるなよ。って。
 
 
 
なぜこういう言葉がNGワードなのか。
 
 
簡単です。気持ちのベクトルに合ってないからです。
 
落ち込んでいるときは、心は下降傾向です。
 
そんなときに、頑張れとかの上昇傾向の言葉を言われても、すぐにそうはなりません。
 
もちろん、言い続ければ上はむきます。
 
しかし、それは心に大きな負担を強いることになります。
 
 
 
頑張れと言われたところで、楽になることはないんです。
 
 
なので、落ちているときは、とことん落ちるべき、という話につながるんです。
 
 
 

なぜとことん落ちるべきか

 
それでは、本題に入っていきます。
 
なぜ落ちているときは、とことん落ちるべきなのでしょうか。
僕の自論で進めていきます。
 
 
逆のことをしても反動が強くなるだけ
まずは先ほどの通り、気持ちのベクトルに合わないことをしても逆効果だからです。
 
自分の気持ちに嘘をついて「頑張れ」と言っても、
どうってことないって無理してポジティブシンキングをしても、
 
本当の心の底では、辛いとか苦しいとか、そういう気持ちが眠っています。
 
そういう本能的な気持ちと向き合わずに、上っ面の理性だけで押さえ込もうとしても、反動が強くなるだけです。
 
理性でコントロールすることも大切ですが、人間も動物です。
 
本能的に自分がどういう状態にあるのかを理性的に把握するように心がけるべきです。
 
ですので、落ちているときには自己啓発本とかは読まない方がいいです。
僕も落ちた時は、同じような思考をしている人のブログとかを読んでいました。
 
無理して立つよりも、まずは寝転がって空を見上げてみましょう。
 
 
 
落ちるところまで落ちたら、上しか無くなる
とりあえず落ちてみてください。
 
きっと、自分と向き合うことになります。
 
頑張ろうとしなければ、頑張りたくないと思っている本能的な自分の声が聞こえてきます。
 
とにかくその声が枯れるまで聞き続けるんです。
 
気になったことはとにかく調べて、堂々巡りしてみてください。
 
 
おそらくですが、そうしている人ほど死ぬという選択肢はないんです。
 
その前提があるので、そこまでいかない範囲で思考的に落ちても、行動には移しません。
 
 
そして、落ちた先にあるもの。それは上がっていく上り坂です。
 
落ちているのに、なぜ上り坂が見えるようになるのでしょうか。
 
これは、人の根本的な考え方に答えがあります。
 
 
 
 
長期的に見て、人は良くなりたい
 
それは、人にはよりよく生きたいという根源的な欲求があるからです。
 
人には5段階の欲望があり、その頂点が自己実現の欲求です。
 
いまの世の中では、生存欲求や安心欲求は満たされています。
承認欲求も満たされやすくなってきた世の中でもあります。
 
そのため、現在は自己実現をしていく欲求を満たしたくなる世の中になっています。
 
 
たとえ落ちたとしても、人は根源的には上を向きたい、よりよい方を目指したい生き物なのです。
 
いまは下り坂かもしれませんが、もっと長い目でみればそれは登り坂の途中にある谷でしかありません。
 
 
 
こうやって気分を坂で考えれば、落ちるのは簡単ですよね。
だって、下るのにはエネルギーを要しませんから。
 
しかし、登るためには、エネルギーが必要です。
努力とか、やる気とか、パワーとか。
 
でもそれは、とても理性的な考え方を持たないといけないですし、何よりも維持するのがとても大変なものです。
 
 
ずっとエンジン全開で登るのは大変です。
たまには休まないといけません。
 
いまは、その一休みしているときだということを把握しましょう。
 
 
 
辛いことがどうでもよくなる
「いつか登りたくなるんだろうな。」
 
落ちたいと思っている自分もいれば、そういう上昇志向の自分もいることがわかってきましたか?
 
 
 
ここまでくれば、あとは時間の問題です。
 
いつまでたっても下りっぱなしだと、あとで登るのが大変になりますよね。
 
だんだんと、下っている場合じゃないと思うようになります。
 
辛いこと、苦しいこと、それに悩んでいる自分がどうでもよくなります。
ただ止まっているだけの自分が情けなく見えてくるんです
 
下ることに飽きて、落ちることに飽きて、
 
やばい、登らなきゃ!自分はこんなもんじゃない!
 
と勝手に思うようになります。
 
そのタイミングこそ、エネルギーを使って頑張る時です。
 
落ちた分をバネにして、こっからまた上がっていくんです。
 
 
 
いままでの人生を考えてみてください。
 
程度は小さいかもしれませんが、同じようなことが何回もあったと思います。
 
今回は、その程度がすこし大きくなってしまっただけです。
 
そうやって後から振り返れば、きっとそう思います。
 
あそこで悩んでよかった、そう思える日がいつかきっときます。
 
人ってそんなもんです。
感情的になるといまこの瞬間しか考えることができない、ちっぽけな生き物なんです。
 
 
 
 

それでも、最低限生きてみよう

今回のまとめです。
 
落ちるとこまで落ちると、なんで生きているんだろうという人の究極的な問いかけにぶち当たります。
 
 
 
僕も悩みました。
そして、いまもその答えは見つかっていません。
 
というか、見つけたら、それこそ人生の終着点だと思います。
 
 
 
 
そして、生きるというのは1人だけの問題ではありません。
 
会いたい、消えないで、生きてほしい。
 
そう思ってくれる人が、きっと周りにいます。
 
いまは生きることが辛いと思っているかもしれません。
 
しかし、そういう辛さを目一杯感じるからこそ、幸せを噛みしめる力も強くなるはずです。
 
ドラマだってそうですよね。
落ちたときと上り詰めた時のギャップが大きいほど、人は感動するものです。
 
ずっと平凡な毎日では、ドラマにもなりませんし、感動もないですよね。
 
感情に揺れがある、そういう無情なことにこそ美しさが眠っているものです。
 
 
 
 
そしてそして、死ぬというのは必ず誰にでも訪れる出来事です。
 
夢は叶わないことが多いかもしれません。
しかし、死ぬというイベントは必ず訪れます。
 
だから、死にたくないという願いは無意味です。
 
どうせ叶う願い事なんですから、そんなことを思っているよりも、他の夢を追いかけてみませんか?
 
その方が、生きている今でしか成し得ないことなんですから、人生という限られた時間を有意義に使っていると思いますよ。
 
 
 
悲しいことは、必ず消えていきます。
それは、時間が解決してくれるという別の記事をご覧ください。
 
 
 
最後に1つだけ例をあげて終わります。
 
グレイテスト・ショーマンというサーカスをテーマにした映画。
流行りましたよね。
 
その映画での最後の言葉、非常に良かったです。
 
「最も崇高な芸術は、人を幸せにすること」
 
富、見た目、成功、名誉、それがどうした?
 
この映画で主役は、火事によっていままで気づきあげてきたものをすべて失います。
 
 
全てを失った時、残るものはなんだ?
 
落ちた今こそ、自分にあるもの。
 
それが真実。
 
 
グレイテスト・ショーマンの場合は、それが自分を救ってくれた家族でした。
心の絆だけが、主人公の心に残っていたんですね。
 
それが人を幸せにするという、最も崇高な芸術の大切さに気付くきっかけになり、このおかげでサーカス団は再び返り咲きます。
 
 
 
落ちるだけ落ちたら、自分にあるものが恐ろしいほどはっきり見えてきます。
 
そして、もうそれ以外失うものがないという強さにもつながります。
 
 
 
 
落ちるところまで落ちた時、
あなたに残るものはなんですか?
 
それが見えるまで、僕は落ちるべきだと思います。
 
なかなか落ちるタイミングも多くはないと思います。
 
せっかくのいい機会だと思って、自分にある真実を探してみてはいかがでしょうか。
 
それでは!
 

メンタルブロックの外し方 〜自己肯定から始める自分の変え方〜

どーも!青空コーヒーです!
 
みなさんには、嫌いな食べ物はありますか?
 
僕は生魚が食べられません。
 
小さな頃に食べたときに、口がものすごく腫れてしまったんですよね。
 
それ以来、生魚アレルギーと言い張って、生魚を避けてきています。
 
まぁ年に一回くらいは挑戦しているんですが、口の中はやはり痒くなりますし、食感もなにも好きではないです…。
 
 
ですが最近の発見で、おいしいサーモンなら食べられることがわかりました。
やっぱり食わず嫌いだったのかな?と思い始めたこの頃です。
 
 
 
 
さて、前置きが長くなりましたが、笑
 
みなさんにも、これは嫌だと思い込んでいるようなこと、あるのではないでしょうか。
 
このようなマイナスの固定概念は、メンタルブロックとも言われます。
 
今回はこのメンタルブロックについてまとめます。
テーマは、
「メンタルブロックの外し方 〜自己肯定から始める自分の変え方〜」
です!
 
 
 
目次
 
 
 

メンタルブロックとは?

まずはメンタルブロックの説明から。
いろんな説明がいろんなところでされています。
 
簡単に言うと、マイナスの固定概念
 
直訳すると、心の障壁
 
カッコよく言うと、心のリミッター
 
もっとカッコよく言うと、マインドブロック。
 
もう少し言うと、潜在意識の中にあるネガティブな概念
 
みたいな感じでしょうか。
 
 
 
人がなにか行動を起こす際に、このメンタルブロックが影響します。
 
僕にはできない
ダメだ
無理だ…
 
このように否定的に考えて、行動を抑制してしまう、こんなかんじです。
 
結果的に、なにも行動に起こせなくなってしまいます。
すると、本来持っているはずの能力を発揮できなくなり、あらゆる選択の場面で消極的な選択をしてしまうんです。
 
自分で決め込んで、勝手に可能性を閉ざしてしまっているんですね。
なので、メンタルブロックはダメなこと、とよく言われます。
 
 
似たような言葉で、トラウマがあります。
 
これは言葉の定義の問題ですが、
 
メンタルブロック
人間が何か行動等を起こす場合に、出来ないダメだ、無理だと否定的考えてしまう思い込みによる意識の壁、あるいは抑止制止する思考のこと。

メンタルブロックとは何? Weblio辞書

 
 
しんてきがいしょう 【心的外傷】
 
 
 
辞書が違うんですけど、メンタルブロックは思考のこと、トラウマは体験といえます。
 
体験とは、つまり過去で起こった出来事です。
なのでトラウマは、一般的には幼少期に起こった、心にダメージが残るような体験のことをさします。
 
トラウマの方が根深いことが多いです。
 
 
それに対してメンタルブロックは、思考のことです。
勝手に自分で作った、内向的な考え方です。
 
 
 
また、あるサイトでは、メンタルブロックは「顕在意識と潜在意識が一致していない状態」と紹介しています。
 
僕が読んだ記事の中では一番的を得ていると考えています。
 
ぜひこちらのサイトをご覧になってみてください。
 
 
 

なぜメンタルブロックが生まれる?

それでは、なぜメンタルブロックが生まれてしまうのでしょうか。
 
その原因を考えていきましょう。
 
 
過去の失敗経験
まずは、過去の失敗経験がメンタルブロックを生み出す原因としてあげられます。
 
昔逆立ちをした際に、誤って怪我をしてしまった。
そこから逆立ちするのが怖くなった。
 
まぁこんなところでしょうか。
 
 
過去に失敗した経験があるからこそ、同じ行動をした結果が想像できてしまいます。
 
そのような場合は、メンタルブロックが発生し、その行動を起こさないようにしようと判断してしまいます。
 
 
これはかなりトラウマに近いですね。
 
トラウマがメンタルブロックを生み出している、と言ってもいいのではないでしょうか。
 
 
自分に対する周囲からの評価
自分に対する周囲からの評価、これもメンタルブロックを生み出す原因になり得ます。
 
自分のことを周りがどのように評価しているか、気になりますよね。
 
あの人って賢いよね〜
なんか臭くな〜い?
何考えてんの、バカじゃないの
 
とか、良くも悪くも想像してしまうことが多いと思います。
 
 
なかでも特に、悪い評価に対しては人は敏感に反応してしまいます。
 
すると人は、その悪い評価を避けようとして、その評価を引き起こす行動を止めようとします。
 
 
成長過程における環境
そして、自分が成長してきた、その過程における環境がメンタルブロックには大きく影響します
 
幼少期に聞いた親の言葉、学校の友達が言っていたこと、テレビで見た情報など。
 
これらは外部から得た情報ですが、環境自体も影響します。
 
英才教育の幼稚園と、ほったらかしの保育園。
 
この両者で比較するなら、やはりその人の根底にあるもの、つまり価値観に影響しそうですよね。
 
価値観というのが、メンタルブロックでは一つキーワードになります。
 
 
 
先入観・思い込み
価値観と似た言葉に、先入観思い込みがあります。
 
一応定義の確認をしておきますね。
 

かちかん 【価値観】

 

せんにゅうかん  【先入観】

前もってつくられた固定的観念。それが自由な思考妨げるときにいう。思い込み先入主先入見。 

 

 
 
考え方という点では同じです。
 
価値観は、価値を認めるかどうかという判断基準です。
先入観は、とにかく以前から思い込んでいた固定的な観念です。
 
大きな違いは、先入観が自由な思考を妨げるという点。
価値観という言葉にはそのような妨げるという意味はありませんよね。
 
 
この妨げるという意味を含んでいる点で、先入観=メンタルブロックといえます。
 
苦手という感覚、これもただの先入観です。
 
 
 
そして、先ほどの参考サイトでは、「顕在意識と潜在意識が一致していない状態」と紹介している、と言いました。
 
ここでいう潜在意識=価値観や先入観です。
 
顕在意識は、自分が意識的に思っていることです。
潜在意識は、無意識的にそう判断してしまうことです。
 
 
意識的にある行動をとろうとしても、無意識的にそれはダメだと判断してしまう。
結果として、潜在意識が行動を起こさせない、つまりメンタルがアクションをブロックしている、というわけなんです。
 
 
 
現状維持バイアス
僕のブログでは、現状維持バイアスを中心に話を広げています。
 
人は、危険を恐れるという原始時代の本能的な部分があります。
そして現代人は、変化=危険と判断して、変化を恐れます。
 
そのため、変化することを恐れて、現状維持を選択しようとするんです。
 
これが現状維持バイアスです。
 
価値観や先入観。これらがその人の人格を構成していると言っても過言ではありません。
 
ですが、メンタルブロックの多くは、価値観や先入観によってもたらされます
 
しかし、昔からの考え方を変えようとすると、現状維持バイアスが働きます。
考え方に沿って行動も変わってしまうのがほとんどですから。
 
なにか新しい行動を起こそうとすると、その先に待っているのは、予測不能な将来。
それを恐れて、危険と捉えるため、やはり価値観や先入観の変更はなかなかできません。
 
 
 
 
なにか行動を起こそうとしましょう。
例はそうですね。苦手なものとする人が多い、飛行機にしましょうか。
 
飛行機が離陸するとき、エンジンによるものすごい加速が発生します。
そして作用・反作用の法則、もしくは慣性の法則によって、人は後ろに引っ張られるような力を受けます。
 
さらに上空は気圧が低くなるため、耳が痛くなる現象が発生します。
 
さらにさらに、気流による揺れは、船で感じる波の揺れよりもひどい時があります。
 
 
こうしたことから、飛行機が苦手な人が多いのも事実です。
 
飛行機が苦手な人は、飛行機に乗ろうとすると、メンタルブロックがそれを邪魔してきます。
 
「本当は怖いんじゃないのか〜」
みたいな(テキトーです、ふざけました笑)
 
メンタルブロックによって、不安や恐怖感に囚われてしまいます。
こうして精神的にも神経的にもバランスを崩すと、顕著に体に反応があらわれます。
 
頭痛、目まい、吐き気、これらもすべてメンタルブロックからきています。
 
 
 

メンタルブロックの外し方

それでは、メンタルブロックの外し方はどのようにすればいいのでしょうか。
 
多くの記事は、
メンタルブロックを見つけて、
それを解除する、
という大きな流れで一致しています。
 
僕もその流れでまとめていこうと思います。
 
 
例としては、飛行機に乗るのが苦手だけど、乗らないといけないパターン。
あとは、人前でしゃべらないといけないパターンの2つで書いていこうと思います。
 
 
メンタルブロックを見つける
まずは、ある行動を取る上で、その行動を取りたくないとしましょう。
 
その際、その取りたくない行動を見つけましょう。そこにメンタルブロックがあります。
 
飛行機に乗るのが苦手な場合、先ほど言ったように、揺れなどのジェットコースター感覚なところが苦手だとしましょう。
 
人前で喋るのが苦手な場合、人に見られるのが苦手としましょう。
 
 
苦手なものは苦手でいいんです。
とにかく、メンタルブロックがあるということを意識化することが大切です。
 
たいていの場合、よくわからずにその行動を取っていないんです。
そして、メンタルブロックの原因が価値観や先入観によるものだ、ということを理解していません。
 
なので、原因を追求する感じです。
 
なるべく細かく原因を突き止めるといいですよ。
特に、メンタルブロックによる身体の反応に注目してみてください。
 
飛行機に乗ると頭痛がするとか、人前に出ると体温が上がって顔が赤くなるとか。
身体の変化を感じ取るだけでも、メンタルブロックを見つけることにつながりますよ。
 
 
 
怖がる自分を受け入れる
ここが大切です。
 
メンタルブロックによって恐れてしまう、そんな自分を認めてあげましょう。
 
誰しもそういう怖いことはあります。
 
そして、価値観や先入観は、なかなか簡単に変えられるものではありません。
 
まずは、メンタルブロックはすぐには取っ払えない障壁だということを理解して、メンタルブロックによって阻害されてしまう自分を素直に認めましょう。
 
強い人こそ、自分の弱さを知っているものですよ。
 
 
他のサイトでは、自分を騙すだとか、自信を持つだとか、いろいろ言っています。
 
しかし、手順が抜けています。
 
まずは自分の弱さ、自分にはメンタルブロックがあって、思うように動けていない、そのような現実を受け入れるステップが必要です。
 
自信というのは、その上で出てくるものです。
 
 
 
飛行機に乗るのが怖いんだね、揺れはたしかに怖いよね。
人前は緊張するよね、数百の目が自分を監視しているような気がするもんね。
 
そうやって弱い自分を認めてあげましょう。
 
 
 
価値観や先入観を変える
ここは、一番難しいことです。
 
メンタルブロックを形成する価値観や先入観を変えることで、障壁をなくしていくのがこの段階です。
 
これがとても難しく、セラピストやコーチングのスペシャリストは、これが得意なんです。
 
 
いくつか方法があります。
 
まずは、情報をとにかく集めること。
 
飛行機の揺れなら、その原因をとにかく調べる。
気流による揺れ方、エアーポケットに関する情報など。
いつどれくらい揺れやすいかなどの情報を集めます。
 
人前で緊張する人は、緊張するメカニズムについてとにかく調べます。
なぜ血圧が上昇するのか、その結果なぜ喉が渇いたり、あくびが出るようになるのかなど。
 
 
人は、わからないことに関しては恐怖を抱きます。
だって、未知なので、それを危険と捉えてしまうからです。
 
そして多くの場合、事前に体験をすることができません。
 
しかし、情報に関しては事前に集めることができるのが、現代のインターネット社会。
 
意識的に自分のメンタルブロックやそれを構成する原因に関して、情報を集めてみてください。
 
すると、価値観や先入観に関する情報が得られるかもしれません。
 
そして、それが大したことないことだと気付くかもしれません。
 
 
 
価値観や先入観を変える2つ目の方法は、ポジティブな人のそばにいることです。
 
価値観や先入観がおかしいと気付くためには、やはり人と比べるのが一番簡単でわかりやすいです。
 
 
そして、自分の抱えるメンタルブロックを持っていない人のそばにいるのが最良です。
 
なぜなら、その人は自分とは違う価値観や先入観を持っているため、メンタルブロックを持たずに済んでいるから、です。
 
それが自分からしてみると、大抵の場合はポジティブシンキングをしている人になります。
 
彼らは、不安や恐れを無駄に抱くのではなく、楽しみなどのポジティブなプラス思考でいることが多いです。
 
 
飛行機は怖いんじゃなくて、揺れを楽しむものだよ。
人前で見られることって、なかなかない機会だよ。光栄じゃない?
 
みたいな感じです。
 
 
 
 
上の2つの方法に共通するのは、感情を切り離して客観的に見ることです。
 
メンタルブロックは無意識的なところから発生する、つまり主観によるところが大きいです。
 
なので、自分の感情を取り除いた、客観的な視点を入れることで、自分の価値観や先入観を正していくんです。
 
 
 
メンタルブロックがあるのは仕方ありません。
それを意識的に変えていくのが大切です。
 
 
 
 
とりあえずやってみる or 3割の法則
価値観や先入観は、そうそう簡単には変わりません。
 
なので、同時並行で行動にも移していく必要があります。
 
 
その際に、2つに分かれます。
 
シミュレーションができることと、できないこと。
 
飛行機に乗ることは、あまりできない体験なので、似たシミュレーションはできないと言っていいでしょう。
 
そのような場合は、とりあえずやってみるということが非常に重要な考え方となります。
 
作業興奮という言葉もあるのですが、やる前が一番恐れているんです。
行動に移したら、意外と大したことないじゃん、ということがほとんどです。
物事だいたいはなんとでもなりますよ〜なんくるないさ〜笑
 
 
一方、人前で話すことはある程度は本番前にシミュレーションすることができます。
 
そういうときは、本番を10と考えて、3割の法則に従って行動に起こしていくことが大切です。
 
 
人前で話すことが10だとしたら、友達2人の前でかしこまって話す、を3割だとしましょう。
まずは友達相手に練習です。
 
 
 
いきなり10やれって言われても、なかなかできるものではありません。
なので、3割くらいから始めて、徐々に体をならしていくんです。
 
この、細分化して障壁を小さくすることで行動が起こしやすくなることを、スモールステップの原理とも言います。
 
どちらも記事があるのでこちらどうぞ!
 
 
 
 
プランを立てる
少しでも行動が起こせるようになった、それだけで止めてはいけません。
 
なんども繰り返し、その行動をとる必要があります。
 
しかし、ちょっとやってみて感じた失敗もしくは反省、あると思います。
 
それは改善していく方がいいですよね。
 
 
 
なので、行動を起こしたら、その先を少し見すえた計画を立てる方がいいです。
 
友達の前ならちゃんと話せるとわかったとしましょう。
 
そしたら次は、友達を増やしていく、場所を本番の場所にする、当日の流れに沿ったリハーサル、本番、のように段階ごとの計画を立てていく感じです。
 
このそれぞれの段階で、慣れながら階段をあがっていくんです。
 
 
 
もちろん、途中でつまづくことがあるかもしれません。
本番の会場に行ったら緊張が止まらなくなってしまった、みたいな。
 
 
そういうときのために、ある程度は代替プランを考えておくといいです。
 
本番の会場でダメなら、プランBで、同じくらいの大きさの会場でやって、会場の大きさに慣れる、みたいなかんじです。
 
 
 
 
 
習慣化する
少しずつでもいいです、行動に起こせるようになったら、次は習慣化です。
 
メンタルブロックは、価値観や先入観を変えることで生じた新しい行動によって、だんだんと小さくなります。
 
しかし、これには継続することが必要です。
 
一度でもやめてしまうと、再びメンタルブロックができてしまいます。
 
 
なので、継続して行動に移せるようにしなければなりません。
 
でも、意識的に行動するのはやっぱり疲れます。
脳がその行動を起こすためにエネルギーを使ってばかりいては、他の行動にもつながりませんから。
 
そこで脳は、ある程度反復される行動を習慣として捉え、その行動を無意識的にできるようにしていくんです。
 
これが習慣化です。
 
 
 
考えてみてください。
 
歩くときに、右足を出したら次は左足、右足を出すときは左手を振って、…とは考えませんよね?
 
歯磨きだってそうです。寝る前になったら無意識的に洗面台に向かったりしませんか?
なにも考えずに歯磨き粉を歯ブラシにつけていませんか?
 
 
日常生活の大半は習慣です。
 
最初はある程度の積極的な改革が必要ですが、時間が経つにつれて習慣化されると、無意識的にできるようになる、これがポイントです。
 
 
 
 
飛行機の例はあまり習慣化とは縁がないので、人前で話すことを例に。
 
まずは人前に立つことから。
じっと立っているのが難しかったら、誰かと一緒でもいいですし、最初は観客が数人でもいいです。
 
スモールステップの原理に従って、小さな段階から始めていきます。
 
そして、手が震えるなと感じたときは、目を閉じて深呼吸を一度することで落ち着きを取り戻せる、という方法を見つけたとしましょう。
 
最初は意識的に目を閉じて深呼吸をします。
一回で落ち着かないときは、落ち着くまで繰り返します。
 
これを、人前に立ったら必ずやる、と意識的な行動にします。
 
 
でも数回繰り返しているうちに、身体がそれを覚えるんです。
 
人前にいる、緊張しているな、目を閉じて深呼吸しなきゃ、
 
と、勝手に無意識的に、目を閉じて深呼吸をするようになります。
 
 
 
これはジンクスみたいな感じですが、ジンクスも立派な習慣です。
 
メンタルブロックが外れるような行動は、最初はとにかく意識的に行い、だんだんとその行動を無意識化、つまり習慣化していくのが大切です。
 
 
 
周囲や先を見る
習慣化と言っても、小さなことからです。
 
ですが、小さなことが無意識的にできるようになれば、それまで使っていた意識はどこに向ければよいのでしょうか。
 
 
 
それが、周囲です。
 
周囲を見る余裕が生まれれば、
「なんだ、意外とみんな自分のこと見てないじゃん」
と、人前で思えるようになるかもしれません。
 
はたまた、
「こう言ったけどこう質問されそうだなぁ」
という将来の先読みもできるかもしれません。
 
 
ある程度無意識的に行動ができる、そんな余裕ができてたなら、ぜひ周囲や先など今まで目に入ってこなかったことに意識を向けてみてください。
 
メンタルブロックを外すどころか、さらに高みを目指せますよ!
 
 
 

まとめ

いかがでしたか?
 
 
ちょっと言い忘れていることがあるので、3つほど。
 
 
1つ目、
メンタルブロックを外す、この話をしているサイトは、だいたいがセラピストのサイトです。
 
彼らは、話を聞いて、どんな価値観や先入観があるのかを特定でき、それを変える力を持っているんです。
 
そのスペシャリスト達ではあります。
 
 
しかし、サイトで書いているのは、とても抽象的で一般的なことばかり。
なぜなのか。
 
それは、価値観は人によって違うから。
どんな環境で育ってきたかによって、その人を構成する価値観や先入観はまったく違います。
 
セラピストは、その人にあったやり方でアプローチして、メンタルブロックを解除していきます。
 
なので、サイトでは誰にでも当てはまるような、占い師てきな書き方しかしていません。
結果として、僕も例を挙げたとしても、そういう書き方になります。
 
それは大前提として、いろんな記事は読まないといけません。
 
 
2つ目、
メンタルブロックの外し方、というサイトがたくさんありましたが、なんとなくですが、簡単に外せると思っていませんか?
 
 
成長とか成功とかが、そんなに簡単で楽にできるものであれば、みんな苦労はしません。
 
逆に、成長とか成功のためには、惜しまない努力や、大きな変化が必要になることがほとんどです。
 
「〜をする〜つの方法」
 
みたいな記事はたくさんありますが、そんなに上手くはいかないと思ってください。
 
結果はすべて自分次第です。
自分としっかり向かい合って努力できる人だけが成功していくんです。
 
 
 
 
 
3つ目、普通に今回の話をまとめます。
マイナスの固定概念であるメンタルブロック
これは、その人が育ってきた環境、いままで培った価値観先入観によるところが大きく、現状維持バイアスによってなかなか変えようとはしません。
 
いきなり変える前に、まずは自己肯定から。
弱い自分を認めることから始めましょう。
 
そして重要なのは、言葉でも行動でもどちらでもいいです。
とにかくアウトプットをすることです。
 
少しずつアウトプットを積み重ねていき、習慣化することを目指しましょう!
 
それでは!