青空の下でコーヒーを

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脱・完璧主義!大切なのは、主観的な自分を自覚すること

どーも!青空コーヒーです!
 
みなさんは、数学は得意ですか?
僕は、大学受験でくじけた人です。テーラー展開とか行列とか、そういう想像できない概念は理解できないなと思いました。(笑)
 
なんでかっていうと、それまで数学はほぼできていたからです、計算はミスしない。
 
いわゆる、完璧主義ってやつだったんですね。
 
でも受験は、完璧主義では通じない世界。合格ラインに最低限届くにはどうすればいいか、という考え方の人が勝つ世界です。
 
だから僕は、受験の時から完璧主義を捨て始めようとしましたが、なかなかできないもの...
 
今回のテーマは、
「脱・完璧主義!大切なのは、主観的な自分を自覚すること」
です!
 
僕も完璧主義から卒業したいので、自分なりに完璧主義について考えました。

 

 

目次

 

完璧主義とは?

まずは毎度のこと、定義の確認です。
一般的に完璧主義と呼ばれる人の特徴は、こんなところではないでしょうか。
 
特徴
  • 責任感が強く自意識過剰
  • 周りからのプレッシャーや結果を過度に受け取り、妥協できない
  • 自己愛が強く、完璧をこなした自分が偉い、頑張っていると自己満足をしている
  • 理想が非常に高い
こんなところでしょうか。
いいところもあるんですよ。理想とか目標が高いので、アウトプットの質は高くなるんです。責任感が強いので、リーダーとして仕事も任されたりします。
 
そして、アーティストなどの芸術の世界では、個人が個人の理想である完璧を追い求めたりします。それはとても素晴らしいことだと思います。
 
でも、ここでいう完璧主義とは、世間一般で働く人に対する言葉。
完璧主義と、なんとなくひとまとめにされて世間から悪い感じに言われてしまうということは、やはりいい印象は持たれていないようですね。
 
いいところはあるのに、なぜ完璧主義はよくないとされるのでしょうか?

 

 

なぜ完璧主義はいけないとされるのか

完璧主義がいけないとされる理由は、おおよそ以下に分類されると考えます。
 
頑張りすぎてしまうから
1つ目は、精神的にも肉体的にも無理をしてしまうからです。
 
完璧って大変ですよね。たとえば、この記事から誤字脱字を探そうとすると、だいたい3000字くらいなので、1/3000まで探すことになります。あ〜果てしないこと(笑)
 
自分の能力が目の前の行動と見合ってないと、理想が高く責任感が強い分、精神的にも肉体的にも頑張ります。
 
ある程度ならいいのですが、プライドが高く自分に厳しい分、常に限界突破を図ります。
 
これは精神的にも肉体的にも言えることなので、結果として身体を壊してしまう人が多いのが事実のようです。
 
 
スピーディな世の中についていけないから
2つ目は、スピーディな世の中についていけないからです。主に仕事面での話です。
 
いまはインターネットにより、そしてロボットやAIにより、どんどんいろんなものが高速化しています。これは仕事においても同じこと。
 
仕事が速くなければ会社としては利益が出せなくなってくるので、仕事が遅くなりがちな完璧主義の人をよしとはしません。
 
 
しかし、完璧主義な人は自分に厳しいため、いろんなことを細部までこだわります。
 
だから、いろんなことを考えてしまうため、優先度をつけることが苦手です。そもそもの優先度も完璧につけたがりますしね。
 
そして責任感が強いため、周りからの目線も異常なくらい気にしてしまいます。プライドが高いのも合わさり、まずは自分の中で完璧を求めます。他人には完璧なものだけ見てもらおうとします。
 
その結果として細部をこだわる、という負のスパイラルになっていきます。
 
 
幼い時は完璧ができたが、大人では完璧がない
完璧主義にすがってしまうのは、幼少期の価値観に大きな原因があります。
 
価値観の違いや、価値観が作られる原因については、こちらをどうぞ。
 
 
幼少期といえば、やることは単純なことですよね。ハイハイできるできない、ママと言える言えないなど、できるかできないかの2択でした。
 
小学校あたりでもこの傾向は続きます。九九は完璧に覚えろって教育でしたよね?このあたりの課題は、完璧にこなせるものであり、完璧を求められてきました。
 
この幼少期に作られた完璧主義という価値観を背負ったまま、あまり大きな失敗をせずに大人になると、
  • 完璧だと自分は嬉しい
  • 完璧なら必ず成功する
  • 完璧じゃないと他人から認めてもらえない
という価値観を持ったままになってしまいます。
 
そんな方が社会の壁にぶつかったとき、初めて自分の完璧主義に気付くのだと思います。
 
 
 
大人の世界では、最初から完璧はできないですよね。というか、必ずしも完璧を目指せるとも限りません。
では、完璧主義を捨てる方法を考えていきましょう。

 

 

完璧主義の対義語ってなんだろう

それでは、逆の視点で考えてみますね。
完璧主義の対義語ってなんでしょう?
完璧主義と真逆の考え方ってなんでしょう?
 
それを考えるには、完璧の意味から考えるべきです。
 
「璧(へき)」は平らで中央に孔のあいた宝玉のことで、完璧は「傷のない玉」が本来の意味となる。
なので、完璧はそこから派生して、「欠陥がないこと」となります。
 
つまり、完璧の対義語としては、欠陥がある状態を意味します。具体的な単語があるわけではありませんが、欠如とか、半端とかが当てはまるのではないでしょうか。
 
 
それでは、完璧主義をやめるには、その対義語である欠如主義を使えばいいのでしょうか?
 
もちろん、そう言っているのではありません。(笑)
 
ですが、8割主義という言葉があるそうです。スピーディな世の中では、スピードさえよければある程度の欠如は許容されるようです。
 
このことについては、この後すぐに再び取り上げます。

 

 

 

完璧主義から卒業するには

これまでで、ある程度の欠如が許されるということがわかりました。
 
それでは、どうやってその考え方を受け入れるのか、そしてどうやって考えていけばいいのか、それをまとめていきます。
 
 
主観の完璧であることを自覚する
まずは考え方の大きな転換です。
今まで言ってきた完璧という言葉、これが全て主観の言葉であることに気づきましたか?
 
自分の抱えている課題などに対して完璧を求めているため、全て主観です。
 
これは先ほども言ったように、完璧主義という価値観が大きく影響しています。過度に完璧を求めている状態です。
 
 
この状態が主観であることに気づけたのであれば、客観的に考えてみましょう。
 
その完璧って自分だけが求めているんじゃないですか?
他人も同じくらいの完璧を求めているのですか?
 
 
 
イメージとしては、あなたが綺麗な玉を持っている状態です。独り占めしていて、誰にも見せていません。
 
それは他人から見ても、もう十分綺麗な玉に見えるかもしれません。一方で、まだ傷が見えると指摘する達者もいるかもしれません。
 
誰がその玉を見るかによって、玉を見る角度は違います。自分が見てこなかった角度から玉を見ると、気づかなかった傷がそこにはある可能性が大きいです。
 
 
同じことです。
その完璧はあなただけの考え方です。まずは、主観的に物事を完璧と考えている状態を自覚しましょう。
 
 
人に任せることを覚えて、無駄なプライドを捨てる
次に、考え方を変えましょう。
完璧を目指すのであれば、より多くの人に助けてもらい、いろんな角度から玉を見てもらう必要がありますよね。
 
この考え方と、それがスピードが求められる世界の課題が合わされば、あとは簡単です。他人にどんどん任せるべきです。
 
完璧を求めているのに、主観になっててそれを達成できないと自覚できているのであれば、無駄なプライドもなくなり、人に任せることを億劫に思わなくなります。
 
 
 
そしてこの段階では、頼られることは相手にとって嬉しいことだということも気づきましょう。
 
自分だって、誰かから頼られたら嬉しいですよね?だって自分を必要としてくれているんですから。完璧にするには、自分が必要なんだって思えるんですから。
 
その気持ち、相手にも味あわせてあげましょう。それくらい、心の余裕を持つことができたのであれば、もうあなたは完璧主義ではありません。
 
 
余裕を持つことができたら、目的を意識する

あとは普通のことです。目的を達成すればいいだけです。

 
まずは、自分にとってのゴールを再認識します。
そして、最短でそこにたどりつくまでに必要な要素をリストアップします。
そのあと、その要素に優先順位をつけて、時間制限を設けて、ひたすら目の前のことをこなしていくだけです。
 
もうこのあたりは、他の方も同じようなことを言っていると思います。
 
 
大切なのは、主観的な自分を自覚することです。そこができていない限り、根本は永遠に完璧主義のままです。

 

 

 

まとめ

いかがでしたか?

やっかいな完璧主義ですが、それが自分だけのものであると気づけたら、世界はもっと広がります。

あなたの持っているその玉、もっとみんなでシェアして、より輝かせてみませんか?

 

それでは!