「ラ・ラ・ランド」の本質を自分なりに考える
どーも!青空コーヒーです!
先日、やっとララランドを見ることができました!
WOWOWに入っていて、よかった〜!(笑)
ということで、今回のテーマは
「『ラ・ラ・ランド』の本質を自分なりに考える」
です!
(途中けっこうネタバレ書いてます、見ていない方は見ないように!)
目次
ララランドとは?
まず簡単な映画の説明を。
ララランドは、2016年に上映された映画で、ミュージカル映画です。
黄色いワンピースを女優さん(エマ・ストーン)が着て、華麗なポーズを決めているこの写真は、当時とても流行りました。
僕は流行っている当時には、この映画を見ませんでした。
なんで見なかったのかは、あんまり覚えてないです(笑)
ですが、見たい映画としてずっとストックしていました。
そして僕が流行っていた映画を見るときは、
なんでこの映画が流行ったんだろう。なにが観客を虜にしたのだろうか。
どうやってみんなに広まっていったのだろうか。
こんなことを考えています。
ですから今回も、ララランドがなぜそんなにも流行ったのか、これについて考えていこうと思います。
ララランドが人気になったわけを、自分なりに考える
日本中で人気になったのは、CMやポスターの美しさに惹かれたのは1つ要因ですね。
アメリカでヒットしていたら、それを全米No.1!とか、タイタニック超え!とか言えば、だいたい日本の人は食いつきます。
なので、先に上映されたアメリカなどの海外で、なぜララランドが人気になったのかを知る必要があります。
lalaland famous reason
で調べてみました(笑)
BBCニュースでもとりあげられているくらいには、みんなも不思議に思っているようですね。
基本的には、音楽、カメラワーク、美術、ここらへんの評価は非常に高かったようです。
とまぁそんなもんなわけで、ここからは個人的な意見を。
最近、なにかと自分を大切にすることが流行っていますよね。
「僕たちは、どう生きるか。」
漫画化されて爆発的なヒットをして、さらに今度宮崎駿監督が映画化することでも、有名になりました。
僕もこの漫画を読んだので、今度書きます。
すごいですよね、この多様化の感じ。
個性がどんどん認められてくるようになってきて、
ネット社会だから、誰でも発信源になれるわけで、
実際、僕もこうして自分を発信しているわけで、
昔は、結婚が人生の必ず踏むべき過程で、結婚していない人は若干見下されるような風潮があったそうです。
僕らもそういう大人たちに囲まれて生きてきたので、そういう概念は持っています。
しかし現代は、結婚がすべてでなくて、自分の生きたいと思う人生を歩むべき、だから結婚するとかは自由という風潮になっています。
こうして結婚しない人が増えて、子供も少なくなり、少子高齢化になってくんですかね。
話がそれました。(笑)
言いたいのは、ララランドもそういう、自分の幸せと恋人という、どちらを選択するかというのが大きな葛藤になります。
映画の中で女性のミアは役者の夢を、男性のセブはジャズピアニストの夢を持っています。しかし2人ともなかなか売れず、そんなときに互いに惹かれあいます。
ところが、夢を追いかけていてはなかなかお金にならないというのが現実。セブは、ミアが自分のお金に関する不安を持っていることがわかりました。彼は、自分のお店を開きたいと言っていたからです。ですがミアも一人舞台をやっていて、お金はまったくありませんでした。
そんなとき彼はある誘いを受け、自分の追い求めているジャズとはまったく別ジャンルのジャズバンドのピアニストになります。彼のお店のため、そしてミアのために。
しかし彼女は反対します。
それは本当にあなたのやりたいことなの?
あなたは自分のお店を持って、本当のジャズをやりたいんでしょ?
ですが彼にも言い分はあります。
君がお金の心配をするからだろ?
彼の所属したバンドが人気となり、各地を転々とする生活になり、すれ違いが続きました。
そんな中で起こってしまったケンカ。
ミアも一人舞台に酷評を受け、一度彼らは距離を取るようになります。
しかし突然舞い降りた、彼女への夢の切符。
一人舞台をやっていた彼女の演技を見たある監督さんが、彼女をあるオーディションに招待します。
そして彼女は合格し、夢を掴みました。
ところが、その舞台はパリ。
パリに行くことは、彼とは離れ離れになることを意味します。
私たちどうなるの?
様子を見よう。
そして、お互いに愛の気持ちを伝え合いました。
それから5年後。
ミアはスター女優への階段を駆け上がりました。
無事に結婚もして、子供も産まれました。
とても幸せな家庭です。
ですが、夫はセブではありませんでした。
そして夫と2人、あるクラブに足を運びます。
そのクラブの名前は、かつてミアがセブに提案したお店の名前...
すると、なんとそこの店長は、5年前に愛した彼、セブではありませんか!
彼も着実に自分の夢を追いかけていたようです。
そして彼の演奏する曲。それは、彼と彼女が出会った時に彼が弾いていた曲。
この曲が、彼女に想わせます。ここがなんとも言えない名シーン。
もしも、もしもあのとき、
彼と別れないでそのままいたら、
私たちはどうなっていたんだろう。
そんな、映画の流れを全て振り返るような、でも全く新しい物語。
とても幸せな光景を想像していました。
曲が終わると、彼女は現実に戻ります。
そして、夫とともにクラブを離れようとします。
クラブを出る瞬間、そっと振り返ってみました。
すると、ピアノの前に座る彼と目が合います。
2人ともなにをこのときに感じたのでしょうか。
しばらく見つめあったあと、お互いが笑みを浮かべて、そして彼女は会場を後にします。
彼女は、果たしてどんな思いだったのでしょうか。
自分の夢は掴みました。
ですが、それが幸せだったのでしょうか?
彼女が思い浮かべた、彼との幸せな家庭、それは後悔なのでしょうか?
とても考えさせてくれる映画です。
自分の夢、それとも、彼との生活
なにが幸せなのか、もし選ばなくてはいけなくなってしまったら、どちらを選びますか?
僕が気になったのは、自分の夢を追いかけることを2人は優先させたということです。
ですが、お互いがお互いの夢を追いかけることを応援していたこと。これがポイントだと思います。
ミアがパリに行くか迷っているとき、セブは彼女の背中を押してくれました。
僕は、これこそ愛情なのかなと思います。
相手のことを信じて、相手の幸せを願うこと、相手が相手の夢を追いかけることを後押しすること。
相手の夢と自分の夢が同じということは、なかなかこの時代には多くありません。
自分とは違う人に惹かれる、持ってないものを持っているからこそ尊重できる、それが恋とか愛だと思っています。
自分のそばにいてくれたら、そう思うのは自分です。それは相手に対するものではなく、自己愛と言われるもの。
このララランドの2人は、それを超える、本当の愛を持っていたんだと思います。
結婚と愛は別、そういう解釈もできる映画なんだと思いました。
そして僕は、自分と彼女をこの2人に重ね合わせました。まぁ、恋人いたとかなら、そうやって見てしまいますよね。
彼女も自分の夢を追いかけようとしているところです。
僕は、彼女がこれまでにいろんな経験をしていることを知っています。いい経験も、悪い経験も。
そして、彼女が1番辛いと思っているときに、僕が支えになれた。
それが付き合うようになったタイミングのときです。
もし僕が今後もそうやって彼女の支えになれるのなら、
彼女も僕を必要としてくれるのであれば、
ずっと一緒にいたいと思いました。
僕にとっても、彼女がそばにいて笑ってくれるだけで、
それだけで活力が湧いてきていたので、
僕も彼女を必要だと思っていました。
しかし、彼女は僕のことを手放しました。
彼女が僕のことを必要としなくなったのか、僕のことを思って手放したのか、それとも他のことか、いまはわかりません。
僕は彼女に、ララランドの女優ミアみたいに、自分の夢は追いかけてもらいたいと思っています。
僕は、彼女がすでに与える側に回っているのを知っていました。どうやって自分の経験を活かして与えていこうか、そう考えている彼女を尊敬し、僕も頑張らないとと思っていました。
そんな尊敬しているステキな彼女だからこそ、夢を追う彼女の背中は押してあげたい。それくらい大きな愛情を持っていたい。
もちろん、自分としては彼女とともにいること、それも幸せのために必要だと思っています。
しかし、そのために彼女の夢を諦めさせるわけにはいきません。
もう、葛藤の嵐ですよね。笑
実際のところ、彼女がなにを思うか、それ次第です。
僕は彼女のことを信じています。
どんな選択であったとしても、彼女には後悔なく幸せな人生を歩んで欲しい、本気で心からおもいます。
とてもララランドから考えされられました。
まとめ
いかがでしたか?
あんまり自分の意見をまとめるってことしなくて、なにが言いたいかわからなくなってしまいました(笑)
深く考えさせる映画、余韻を残してくれる映画がやっぱりいい映画なんだろうなと思いました。
もっと感情豊かになりたいなと思います。
それでは!