青空の下でコーヒーを

自分がわからなくなった自分ために、自分を表現するためのブログ

海外旅行後、日本に対して思うこと

どーも!青空コーヒーです!
 
みなさんは、海外旅行に行ったことはありますか?
 
僕は、まぁまぁ行っているほうだと思います。
 
 
ハワイ、オーストラリア、グアム、フランス、フィリピン、スペイン、モロッコカタール、イタリア
 
 
中南米はいつか行きたいですね。
 
と、まぁこんな感じで、海外には行っているんですが、そこでいろいろ思うことがありました。
 
本来は海外から帰ってきたときに書くべきだったんですが、なんとなく書いていなかったので、いま書いておこうと思います。
 
テーマは、
「海外旅行後、日本に対して思うこと」
です!
 
 
目次
 
 

日本人は教養が低い

まずは、日本人の教養の低さです。
 
教育と教養は、また別物だと思っています。
 
定義の確認をしましょう。
 
教育
 ある人間を望ましい姿に変化させるために、身心両面にわたって、意図的、計画的に働きかけること。知識の啓発、技能の教授、人間性の涵養(かんよう)などを図り、その人のもつ能力を伸ばそうと試みること。「教育を受ける」「新入社員を教育する」「英才教育
 学校教育によって身につけた成果。「教育のある人」
 
教養
 教え育てること。
「君の子として之(これ)を―して呉れ給え」〈木下尚江良人の自白
㋐学問、幅広い知識、精神の修養などを通して得られる創造的活力や心の豊かさ、物事に対する理解力。また、その手段としての学問・芸術・宗教などの精神活動。
㋑社会生活を営む上で必要な文化に関する広い知識。「高い教養のある人」「教養が深い」「教養を積む」「一般教養 

教養(きょうよう)とは - コトバンク

 
 
ちょっと違いが分かりづらいかもしれません。
 
大きな違いとしては、学校という部分。
 
教育は、学校という言葉が定義に入ります。
一方の教養は、学校に限りません。
 
 
そして、英語だともっと違うんですよね。
 
教育は、educationです。
一方の教養は、cultureなんです。
 
教育は、なんとなく受動的なイメージがありませんか?
一方の教養は、自発的に大人になってから身につけるものというイメージがありませんか?
 
 
 
 
日本人は、教育制度はかなり整っています。
なので、教育はあると思っています。
 
しかし、教養がないととても感じます。
 
海外、特にヨーロッパに行った時ですが、皆が文化的な背景をとても熱心に勉強している様子が伺えます。
 
フランスの凱旋門、スペインのサグラダファミリア、イタリアのコロッセオ、いろんなところで思いました。
 
欧米人は、概して教養がある人が多いです。
 
一方で、日本人は教養はあまりないかなと思います。
 
寺とか神社とか、その違いを説明できない人も多いと思いますし、葬式とかも詳しくないと思います。
 
 
 
まぁ、宗教的な背景がとても大きいとは思います。
キリスト教が広く浸透している欧米に対して、いまの日本はどうでしょう?
決して仏教ではないと思います。クリスマスとかで盛り上がっているんですから。
 
日本に帰ってからは、お金とかネットに関する教養もまったくないなと痛感します。
 
そういう、学校外で学べることに関して疎いのが、日本人の特徴なのかなと思いました。
 
 
 

日本の英語教育は改善すべき

フランスとフィリピンに行ったときに強く思いました。
 
日本の英語教育は、ほんとうに教育しているのか?と。
 
 
僕が大学1年生のときにフランスに行きましたが、田舎のおじさんでも、皆カタコトの僕よりも流暢に英語をしゃべっていました。
 
 
そして、大学3年生のときのフィリピンです。
このときは英語を勉強しに私費で留学していました。
 
ストリートチルドレンに囲まれることもしばしば。
お金をせがむだけなので、特に怖くはありませんでしたが、まぁそんな社会です。
 
 
あるとき、おとなしくじっと座っているストリートチルドレンがいました。
 
ちょうど僕も暇でしたし、比較的安全で人通りも多い場所だったので、思い切って声をかけてみました。
 
何歳?なにしてるの?お母さんは?学校は?
 
すると、全てしっかりした英語で返してくるではありませんか!?
 
 
お金がなくて、ろくに学校にも行くことができないストリートチルドレンです。
 
そんな10歳も満たない彼らが、20歳そこそこの日本人学生と対等に英語でしゃべっているのです。
 
これは衝撃的でした。
 
普段は「Money!」しか言わない彼らだったので、英語はてっきりわからないと思っていました。
 
しかし、ストリートチルドレンですら英語が話せるのがフィリピン。
 
一方、ヤンキーの日本人が英語をしゃべれるでしょうか?
 
都会で働く一流のサラリーマンですらしゃべれないのが半数というのが日本の現状でしょう。
 
 
 
なぜこんなことが起こりうるのか。
 
やはり、日本の英語教育というのはダメなんだなと痛感しました。
 
ただ文法的に学んでいるだけの日本では、生きた英語力は身につきません。
 
生きるための英語を身につけているフィリピンに、これからどうやって国全体でグローバルで勝負していけばいいのでしょうか。
 
 
 
やり方をいろいろ改めるべきだと本当に思っています。
 
僕自身がそこまで英語を喋れる人ではないので大きな声では言えませんが、日本人は英語を喋れなすぎです。
 
このままでは、いつか世界の中で日本はガラパゴスになります。
 
 
 

儚さという美しさは世界共通

 
悪いことばかり目につきましたが、いいところもありました。
 
儚さという美しさ、これは世界共通でした。
 
 
日本でも、諸行無常という言葉があるように、一瞬の儚さに対する美というのはありました。
 
芸術でも、一瞬しか維持できない芸術品というのは、とても価値があるとされてきました。
 
氷の彫刻とか、まさに一瞬の美ですよね。
 
 
桜とかも、ひとときしか咲かないからこそ美しいと思われます。
 
 
音楽もそうですよね。二度と同じ音は奏でることができない、だからこそこの演奏に価値があるという、これも美です。
 
 
そういう諸行無常の美は、世界でも共通でした。
 
ロッコでは特に感じました。
 
自然界の中で、不安定の中で成り立つ美。
 
儚さを感じるこの一瞬、そこに美しさを感じる。
 
 
 
この感覚は、世界でも共通でした。
 
ちょっと伝えきれていないと思いますが、日本人が大切にしている美の感覚、これはもっと世界に訴えていくことができるものだと思っています。
 
 

まとめ

まとめもなにもないんですけどね。笑
 
 
日本には、いいところも悪いところもあります。
 
特に教育とか教養とかは、もっと見直すべきだと思います。
 
しかし、美に関する感性は、もっと押し出していくべきだと思いました。
 
 
 
もっとグローバル志向な日本に、東京2020後になるといいですね。
 
 
それでは!