青空の下でコーヒーを

自分がわからなくなった自分ために、自分を表現するためのブログ

落ちるときはとことん落ちよう!

どーも!青空コーヒーです!
 
みなさんにとって、今まで生きてきた中で一番辛かったことはなんですか?
 
 
別れ、失恋、失職、死別、
 
おおよそ辛いものほど、失うことの方が多いんですよね。
 
 
死にたくなるくらいにつらい時は、僕は誰にでもあると思っています。
 
そういう落ち込んだとき、一体どうすればいいのか。
 
僕は実体験でもありますが、とにかく落ち込んだ方がいいと思います。
 
今回は、落ちるときはとことん落ちるをテーマに、
「落ちるときはとことん落ちよう!」
です!
 
 
 
目次
 
 
 

どんなときに落ちるか

まずは、どんなときに人は落ちるのかを考えていきましょう。
 
最初にも言ったように、
別れ、失恋、失職、死別、とにかく自分が今まで持っていた何か失うときに人は落ちやすくなります。
 
 
いままで当たり前だと思っていたものが失われると、人は悲しくなるものなんですね。
 
 
あとは、仕事や学校生活での失敗とか、そういうメインの活動でのつまづきでも、人は心が落ち込んでしまうことがありますね。
 
 
あとは、いわゆるメンヘラと言われる人には多いんですが、
なぜ自分が落ちているのかもわからずに落ちている場合もあります。
 
 
なので、落ちるときにはおおよそ、理由がはっきりしているときと曖昧なときで2パターンあると思います。
 
 
 
 
僕の実体験の場合は、恋愛と研究の2つが同時にダメになりました。
 
一生寄り添って生きていけると思えた恋人を失い、
 
転々としていた研究テーマがまたうまくいかないという結果にぶち当たり、
 
これが両方ほぼ同時に起こりました。
 
いわゆる、仕事もプライベートも、なにもうまくいかない状態です。
 
 
 
もう、あぁ、俺はなんで生きているんだろう。
 
なにも成功しないし、生きがいと呼べる人もいなくなったし、
 
なんで俺は生きているんだろう、
 
 
と、落ちました。
 
普段はこれでも、あまり落ちない方の人間だと思っています。
なんとかなるさ精神が少しはあると思っていました。
 
ですが、このときばかりは、どうにもなりませんでした...
 
 
 
 
 
みなさんにも、そういう時があるかと思います。
 
てか、ある人がこの記事は読んでいるのかなと思います。笑
 
 
 

落ち込んだ時の対処法

普段の僕のブログなら、なぜ落ちるべきかを先に説明するのですが、今回はまず落ち込んだときの対処法をまとめてみます。
 
 
ひたすら泣く
涙活という言葉も生まれましたよね。
 
ただただ泣くという行為も、落ち込んだ身にはよいそうです。
 
心のデトックス効果とも言われる涙活は、涙を流すだけですっきりする効果が得られます。
 
落ち込んでいないときでも、感動する映画を見て泣いたりするだけで、普段実はかかえているストレスを解消することにつながったりします。
 
 
僕のオススメの涙活用映画はレ・ミゼラブルなんですけど、まぁ長いんで、本当に無理ってときには見るといいかなと思います。笑
 
 
 
歩く・体を動かす
ひたすら歩くのも、落ち込んだ身にはいいですよ。
 
重要なのは、とにかく無意識的にでも体を動かすような運動をすること
 
歩く、ランニング、自転車、このあたりでしょうか。
 
体を動かしていると、頭で考え事をしなくてもよくなります。
 
頭の中がすっきりしてきます。
 
僕も落ち込んだときは、自転車で2時間くらい走って、めちゃくちゃおいしいつけ麺を食べるだけの旅行をしたことがあります。笑
 
 
 
 
お風呂に入る
風呂に入るのもとってもいいです。
 
外から身を清めるだけでなく、中から身を清めてくれそうな気もしますしね笑
 
温泉に入るとストレスが解消されるという話もありますし、
とにかく、一糸纏わず水に体を埋めるというのは、体だけでなく心も解放されるのかもしれませんね。
 
 
ハグをする・撫でる
こちらは別記事でも紹介していますが、
 
人は触れ合うことで、信頼ホルモンと呼ばれるオキシトシンを分泌するようになります。
 
オキシトシンには抗鬱効果もあるので、誰かとハグをしたり、ペットを撫でたり、好きな人の声を聞いたり、マッサージを受けるだけでも効果があります。
 
 
美味しいものを食べる
美味しいものを食べるのももちろん効果はあります。
 
基本的には、落ち込んでいる原因=ストレスという解釈ができるので、ストレス解消をすればいいのですから。
 
ストレスとは、つまり自分を抑え込んでいるなにかです。
 
なので、抑え込まれている自分を解放するように、本能のままに好き勝手にすればいいんです。
 
 
太らない程度に、次の日に影響が出ない程度には、美味しいものをいっぱい口にしたり、お酒をたらふく飲んだりするのもいいかもしれません。
 
 
 
ひたすら寝る
ずっと布団と恋人になって寝るのもありです。
 
落ち込んでるんだから、なんにもやる気がなくなっても当然です。
 
何を見ても、何を聞いても、頭に入ってこなかったりします。
 
そういうときは、なにも考えなくて済むように、とにかく寝るのはありですよ。
 
 
ただし、「頑張れ」はNGワード
落ち込んだときの対処法でよくあるのが、「頑張れ」と自分を励まし、他人から励まされること。
 
頑張れよ。
 
そんな大したことないじゃん。
 
なんも気にすることないよ。
 
次があるって。
 
さぁ、立とうよ。
 
 
 
でも、こういう言葉って、落ち込んでいるときにはNGワードだったりします。
 
僕も落ち込んだときに言われました。
やめるなよ、逃げるなよ。って。
 
 
 
なぜこういう言葉がNGワードなのか。
 
 
簡単です。気持ちのベクトルに合ってないからです。
 
落ち込んでいるときは、心は下降傾向です。
 
そんなときに、頑張れとかの上昇傾向の言葉を言われても、すぐにそうはなりません。
 
もちろん、言い続ければ上はむきます。
 
しかし、それは心に大きな負担を強いることになります。
 
 
 
頑張れと言われたところで、楽になることはないんです。
 
 
なので、落ちているときは、とことん落ちるべき、という話につながるんです。
 
 
 

なぜとことん落ちるべきか

 
それでは、本題に入っていきます。
 
なぜ落ちているときは、とことん落ちるべきなのでしょうか。
僕の自論で進めていきます。
 
 
逆のことをしても反動が強くなるだけ
まずは先ほどの通り、気持ちのベクトルに合わないことをしても逆効果だからです。
 
自分の気持ちに嘘をついて「頑張れ」と言っても、
どうってことないって無理してポジティブシンキングをしても、
 
本当の心の底では、辛いとか苦しいとか、そういう気持ちが眠っています。
 
そういう本能的な気持ちと向き合わずに、上っ面の理性だけで押さえ込もうとしても、反動が強くなるだけです。
 
理性でコントロールすることも大切ですが、人間も動物です。
 
本能的に自分がどういう状態にあるのかを理性的に把握するように心がけるべきです。
 
ですので、落ちているときには自己啓発本とかは読まない方がいいです。
僕も落ちた時は、同じような思考をしている人のブログとかを読んでいました。
 
無理して立つよりも、まずは寝転がって空を見上げてみましょう。
 
 
 
落ちるところまで落ちたら、上しか無くなる
とりあえず落ちてみてください。
 
きっと、自分と向き合うことになります。
 
頑張ろうとしなければ、頑張りたくないと思っている本能的な自分の声が聞こえてきます。
 
とにかくその声が枯れるまで聞き続けるんです。
 
気になったことはとにかく調べて、堂々巡りしてみてください。
 
 
おそらくですが、そうしている人ほど死ぬという選択肢はないんです。
 
その前提があるので、そこまでいかない範囲で思考的に落ちても、行動には移しません。
 
 
そして、落ちた先にあるもの。それは上がっていく上り坂です。
 
落ちているのに、なぜ上り坂が見えるようになるのでしょうか。
 
これは、人の根本的な考え方に答えがあります。
 
 
 
 
長期的に見て、人は良くなりたい
 
それは、人にはよりよく生きたいという根源的な欲求があるからです。
 
人には5段階の欲望があり、その頂点が自己実現の欲求です。
 
いまの世の中では、生存欲求や安心欲求は満たされています。
承認欲求も満たされやすくなってきた世の中でもあります。
 
そのため、現在は自己実現をしていく欲求を満たしたくなる世の中になっています。
 
 
たとえ落ちたとしても、人は根源的には上を向きたい、よりよい方を目指したい生き物なのです。
 
いまは下り坂かもしれませんが、もっと長い目でみればそれは登り坂の途中にある谷でしかありません。
 
 
 
こうやって気分を坂で考えれば、落ちるのは簡単ですよね。
だって、下るのにはエネルギーを要しませんから。
 
しかし、登るためには、エネルギーが必要です。
努力とか、やる気とか、パワーとか。
 
でもそれは、とても理性的な考え方を持たないといけないですし、何よりも維持するのがとても大変なものです。
 
 
ずっとエンジン全開で登るのは大変です。
たまには休まないといけません。
 
いまは、その一休みしているときだということを把握しましょう。
 
 
 
辛いことがどうでもよくなる
「いつか登りたくなるんだろうな。」
 
落ちたいと思っている自分もいれば、そういう上昇志向の自分もいることがわかってきましたか?
 
 
 
ここまでくれば、あとは時間の問題です。
 
いつまでたっても下りっぱなしだと、あとで登るのが大変になりますよね。
 
だんだんと、下っている場合じゃないと思うようになります。
 
辛いこと、苦しいこと、それに悩んでいる自分がどうでもよくなります。
ただ止まっているだけの自分が情けなく見えてくるんです
 
下ることに飽きて、落ちることに飽きて、
 
やばい、登らなきゃ!自分はこんなもんじゃない!
 
と勝手に思うようになります。
 
そのタイミングこそ、エネルギーを使って頑張る時です。
 
落ちた分をバネにして、こっからまた上がっていくんです。
 
 
 
いままでの人生を考えてみてください。
 
程度は小さいかもしれませんが、同じようなことが何回もあったと思います。
 
今回は、その程度がすこし大きくなってしまっただけです。
 
そうやって後から振り返れば、きっとそう思います。
 
あそこで悩んでよかった、そう思える日がいつかきっときます。
 
人ってそんなもんです。
感情的になるといまこの瞬間しか考えることができない、ちっぽけな生き物なんです。
 
 
 
 

それでも、最低限生きてみよう

今回のまとめです。
 
落ちるとこまで落ちると、なんで生きているんだろうという人の究極的な問いかけにぶち当たります。
 
 
 
僕も悩みました。
そして、いまもその答えは見つかっていません。
 
というか、見つけたら、それこそ人生の終着点だと思います。
 
 
 
 
そして、生きるというのは1人だけの問題ではありません。
 
会いたい、消えないで、生きてほしい。
 
そう思ってくれる人が、きっと周りにいます。
 
いまは生きることが辛いと思っているかもしれません。
 
しかし、そういう辛さを目一杯感じるからこそ、幸せを噛みしめる力も強くなるはずです。
 
ドラマだってそうですよね。
落ちたときと上り詰めた時のギャップが大きいほど、人は感動するものです。
 
ずっと平凡な毎日では、ドラマにもなりませんし、感動もないですよね。
 
感情に揺れがある、そういう無情なことにこそ美しさが眠っているものです。
 
 
 
 
そしてそして、死ぬというのは必ず誰にでも訪れる出来事です。
 
夢は叶わないことが多いかもしれません。
しかし、死ぬというイベントは必ず訪れます。
 
だから、死にたくないという願いは無意味です。
 
どうせ叶う願い事なんですから、そんなことを思っているよりも、他の夢を追いかけてみませんか?
 
その方が、生きている今でしか成し得ないことなんですから、人生という限られた時間を有意義に使っていると思いますよ。
 
 
 
悲しいことは、必ず消えていきます。
それは、時間が解決してくれるという別の記事をご覧ください。
 
 
 
最後に1つだけ例をあげて終わります。
 
グレイテスト・ショーマンというサーカスをテーマにした映画。
流行りましたよね。
 
その映画での最後の言葉、非常に良かったです。
 
「最も崇高な芸術は、人を幸せにすること」
 
富、見た目、成功、名誉、それがどうした?
 
この映画で主役は、火事によっていままで気づきあげてきたものをすべて失います。
 
 
全てを失った時、残るものはなんだ?
 
落ちた今こそ、自分にあるもの。
 
それが真実。
 
 
グレイテスト・ショーマンの場合は、それが自分を救ってくれた家族でした。
心の絆だけが、主人公の心に残っていたんですね。
 
それが人を幸せにするという、最も崇高な芸術の大切さに気付くきっかけになり、このおかげでサーカス団は再び返り咲きます。
 
 
 
落ちるだけ落ちたら、自分にあるものが恐ろしいほどはっきり見えてきます。
 
そして、もうそれ以外失うものがないという強さにもつながります。
 
 
 
 
落ちるところまで落ちた時、
あなたに残るものはなんですか?
 
それが見えるまで、僕は落ちるべきだと思います。
 
なかなか落ちるタイミングも多くはないと思います。
 
せっかくのいい機会だと思って、自分にある真実を探してみてはいかがでしょうか。
 
それでは!