青空の下でコーヒーを

自分がわからなくなった自分ために、自分を表現するためのブログ

人を見下す理由

どーも!青空コーヒーです!
 
みなさんは、人を見下したことありませんか?
 
僕は正直、そういう時もあります。
 
人は誰かと比べないと自分がわからない生き物なので、どうしても優劣をつけてしまいがちです。
 
他人の不幸は蜜の味とも言われます。
 
人の不幸話ほどよく覚えているものですよね。
 
それだけ人は他人を見下してしまう生き物なんです。
 
 
でも、人を見下していてばっかの人って、本当に優れているんでしょうか?
 
今回のテーマは、
「人を見下す理由 〜自己評価を高くして面子を保つ〜」
です!
 
 
 
目次
 
 
 

人を見下す人の特徴

 
まず、人を見下す人の特徴についてまとめていきましょう。
 
 
自己中心
まずは、自己中心の人が人を見下します。
 
自分が中心なので、自分が判断基準となります。
そうなると、自分と違う人は間違いという判断になり、優劣として他人を劣等とみなすのです。
 
よくありますよね。自分の当たり前は他人の当たり前ではない。
でも、相手の気持ちも背景もなにも汲み取ることができないので、自分中心で考えてしまうのです。
 
 
 
自己愛が強い
なぜ自分中心なのかというと、自分が好きだからです。
 
ようするに、ナルシストということです。
 
自分は他人とは違うんだ、俺すげぇ!
自分大好き!
 
という感じですかね。
 
 
完璧主義
自分が大好きな人は、とても自分に厳しいんです。
いわゆる完璧主義と言われるものです。
 
いろんなことにこだわるのですが、それが自分だけじゃなくて他人にも波及します。
 
こんなにすごい俺がやっているんだぞ、お前もやれよな?
 
という感じです。
 
 
 
実は自分に自信がない
そして一番大切なのがこれです。
 
人を見下すような、自分が大好きな完璧主義者さんは、
実は自分に自信がないのです。
 
本当はとてもネガティブ精神で、ストレスはためがちです。
その溜まったストレスを発散させるのが、人を見下して自分を相対的に優れたものと見ることなのです。
 
 
自尊感情がとても低いからこそ、それを補う何かが必要なんです。
 
それが、人を見下して自分を勝者に祭り上げることなんです。
そういう勝ち負けでしか判断できないんです。
 
また、自分の判断基準で動いているからこそ、自分が間違っているとは決して認めたがらないものです。
 
それが無駄なプライドを生み出し、どんどん人から嫌われていくんですね。
 
 
 
 
 

人を見下してしまう理由

 
では、なぜ人を見下してしまうんでしょうか。
なぜ自分に自信がないんでしょうか。
 
もう少し、掘り下げて考えてみましょう。
 
小さい頃の価値観
まずは、小さい頃に形成された価値観が、人を見下してしまう原因です。
 
なかなかこれは変えられないですし、人が変わるのが困難なのもこれが理由です。
 
 
 
これには2つパターンがあって、褒められてきた人と、褒められてこなかった人です。
 
 
まず、たくさん褒められてきた人は、おそらく叱られてもこなかったので、失敗経験が少なくなります
 
つまり、完璧です。
 
そうなると、完璧じゃないと他人から認めてもらえないという価値観になってしまいます。
 
このパターンは、多少の自尊心はあります。だってある程度は成功してきていますから。
あとは、他人を受容できない場合、自己中心的になってしまい、人を見下すという悪い方向に傾いてしまいます。
 
 
 
そして、褒められてこなかった人について。
褒められなかった分、その人に蓄積する感情は、嫉妬です。コンプレックスです。
 
他人に対して嫌悪感を抱き、自分がとにかく上に立つために、人を見下すような癖がついてしまいます。
 
本当に小さいことでも他人が自分より劣っていることを見つけては、自分より下の存在がいるということで得られる優劣感や安心感を得たいのです。
 
 
 
承認欲求
とくに先ほどの、褒められなかった人が人を見下すようになります。
 
それは、承認欲求があるからです。
 
自分が見下されたという経験から生まれる悔しさが、これ以上見下されないようにというプライドを生み出します。
 
その反面で生まれる、自分を優等だと認めてほしい承認欲求が生まれます。
 
でも、そんな素直なことは言えません。プライドが邪魔をします。
 
だから、人を見下して上に立とうとするんです。
上に立つんだから、俺はすごいだろ?という風に。
 
 
平均点以上効果
 
「自己評価は、客観評価よりも高くなる」
 
という平均点以上効果と呼ばれるものがあるそうです。
 
どういうことかというと、
周囲が自分に行う評価よりも、自分が自分に行う評価を若干高めにすることで、小さな優越感を得るということです。
 
 
なかなか自分の評価ってわからないですよね。
他人からのフィードバックがないからです。
 
だから、自分で自分のことが認識できなくなります。
すると、平均点以上効果によって自分を支えるのです。
 
 
ついでに言うと、できない人ほど平均点以上効果が強いそうです。
 
頭の悪い人、嫌われがちな人ほど、自己評価が高くなって客観評価との乖離が起こるそうです。
 
まぁ、わかりますよね。
乖離があるというのは潜在的にはわかってて、それをわかりたくないからこそ自分で自己評価を上げておかないと、やってられないんです。
 
 
コミュニケーション不足
そして、いま言ってきた3つすべてに共通してくるのが、コミュニケーション不足です。
 
 
現代はサザエさんのような家庭ではなく、核家族化になってきています。
 
そしてインターネットの普及によって、人とのコミュニケーションが昔より減ってきました。
 
ちゃんと心と心を通わせるようにさえすれば、適度に褒められて適度に叱られることで、価値観がおかしい方向に進まなかったかもしれません。
 
ちゃんと人と喋ることで自分というものをわかってさえいれば、無駄に承認欲求を満たそうとはしなかったかもしれません。
 
ちゃんと周りと価値観を擦り合わせて正しい自己評価さえできていれば、無理に自分を上にしなくても済んだかもしれません。
 
 
 
 
とにかく、殻に閉じこもりがちな人ほど、過大評価をしがちな人になります。
 
殻に閉じこもるほど、自分しかいないので、自分を正しくしようとしなければいけません。歪んだ価値観が生まれます。
 
しかし人と比べることも少ないために、自分の正確な立ち位置がわからなくなります。
 
さらに、閉じこもっている分だけ承認欲求が不足しているので、とにかく人に自分の価値を委ねてしまいます。
 
しかし正確な自分の立ち位置がわからないために、無理して上に立とうとして、人を見下すことしかできなくなってしまうのです。
 
 
 
どこから直せばいいかというと、
 
自分だけでなく相手も正しいということを認めること。
ありのままの自分を受け入れること。
 
これに尽きると思います。
 
 
 
 

人を見下さないためには?

 
では、人を見下さないためには、どうすればいいんでしょうか。
本当に自分を変えたいと思っている人は、ぜひ読んで自分と向き合ってください。
 
また、周りに人を見下してばかりの人がいるという方も、どうすればいいのかを少しだけ書いています。
 
 
自分の考え方を知る
まずは、自分がどういう考え方をしている人間なのかを知ることです。
 
おすすめなのは、とにかくアウトプットすること。
 
手書きでも、こういうブログの形でも構いません。
 
人に見せるものでなくていいので、とにかく言葉という形にすることです。
 
言葉という形にすれば、それは自分のものだけでなく、相手にも共有できるもの、つまり他人でもわかるものになります。
 
自分の殻に閉じこもっている人は、考え方も自分の中にしかないので、他人からはわかりません。
 
まずは言葉にすることから始めましょう。
 
 
完璧が難しいことを知る
 
言葉にすると、自分が細かいことにこだわっているか、など価値観について客観的に気づくことができます。
 
完璧というのは、とても難しいです。
 
別記事に書いたので、そちらをご覧ください。
 
 
とにかく、自分の価値観が歪んでいるんだ、正しいとは限らないんだ、そういう自覚を心の底からすることが大切です。
 
 
弱さを知っているほど強いことを知る
自尊心がないほど人を見下すと言いました。
 
ですので、自尊心を持つことが非常に大切です。
 
そのためには、自分が弱いということを認めないといけないんです。
 
ワンピースのルフィも、俺は弱い!ということを兄エースを失ってから気づきます。
なにも守れない自分の弱さに気づいてから、でもそこで残っている仲間の存在を糧にして、再び海賊王への旅路に戻ります。
 
 
自分の弱さを知っている人ほど、実は強いんです。
 
僕のブログで一番読まれている記事なので(なぜかはわかりません。笑)
ぜひこちらをご覧ください。
 
 
 
他人と積極的にコミュニケーションをとる
自分の考え方を知って、自分の弱さを知ったら、あとはどんどん他人とコミュニケーションをとることです。
 
自分の考え方がいかに正しくないかを知るためにも、価値観の幅をもたせるためにも、とにかく他人を知ることが大切です。
 
 
そして、そうやって他人の考え方を受け入れれば入れるほど、他人は自分を受け入れるようになります。
 
これは返報性の原理とも言います。
 
他人の承認欲求をこちらから認めてあげるのです。
そうすると、相手もこちらの承認欲求を認めたくなってきます。
 
 
 
とにかく大切なのは、ブレない自分を作ることです。
 
 
相手は変わらない
そして重要なのは、相手は変わらないということです。
 
自分の考え方をなんとか方向修正することはできても、相手の価値観はなかなか変えられません。
 
 
なので、もし相手が人を見下すような人であれば、それはそういう人なんだと相手にしないことが大切です。
 
もしやり返そうとしたら、逆に復讐されます。
勝ち負けでしか判断できない人なので、こちらから逃げる方が無難です。たとえ相手が明らかに間違っていても。
 
そんな一瞬の勝負にこだわる人は、相手にしてはいけません。
 
 
 
逆に利用するくらいの方がいいと思いますよ。
相手が人を見下す人であれば、相手が欲している承認を与えてあげるのです。
 
とりあえず褒めて持ち上げておけば、相手は自分のことを味方という風に思います。
 
そうやって相手の内部に入り込むくらいの方がまだいいです。
 
 
 
 
よくある話は、馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない、という話です。
 
相手に実際に行動させるのは、それくらい困難ということです。
 
特に習慣とか価値観とかは、自発的にさせなければ変わりません。
 
なので、相手はなかなか変わらないから、なら自分が変わろうと判断して、相手への接し方を変えるくらいの心持ちでいましょう。
 
 
 

まとめ

いかがでしたか?
 
人を見下す、その原因はけっこう根深いです。
その人の生まれ育った環境、コミュニケーション不足が大きいです。
 
もし本当に変わりたいのであれば、まずは自分をしっかり認めることからです。
 
けっこう大変な作業にはなりますが、それをすることでしか見えてこないものもありますよ。
 
 
人と一緒に生きる、そういう価値観になれるといいですね。
 
それでは!
 

海外旅行後、日本に対して思うこと

どーも!青空コーヒーです!
 
みなさんは、海外旅行に行ったことはありますか?
 
僕は、まぁまぁ行っているほうだと思います。
 
 
ハワイ、オーストラリア、グアム、フランス、フィリピン、スペイン、モロッコカタール、イタリア
 
 
中南米はいつか行きたいですね。
 
と、まぁこんな感じで、海外には行っているんですが、そこでいろいろ思うことがありました。
 
本来は海外から帰ってきたときに書くべきだったんですが、なんとなく書いていなかったので、いま書いておこうと思います。
 
テーマは、
「海外旅行後、日本に対して思うこと」
です!
 
 
目次
 
 

日本人は教養が低い

まずは、日本人の教養の低さです。
 
教育と教養は、また別物だと思っています。
 
定義の確認をしましょう。
 
教育
 ある人間を望ましい姿に変化させるために、身心両面にわたって、意図的、計画的に働きかけること。知識の啓発、技能の教授、人間性の涵養(かんよう)などを図り、その人のもつ能力を伸ばそうと試みること。「教育を受ける」「新入社員を教育する」「英才教育
 学校教育によって身につけた成果。「教育のある人」
 
教養
 教え育てること。
「君の子として之(これ)を―して呉れ給え」〈木下尚江良人の自白
㋐学問、幅広い知識、精神の修養などを通して得られる創造的活力や心の豊かさ、物事に対する理解力。また、その手段としての学問・芸術・宗教などの精神活動。
㋑社会生活を営む上で必要な文化に関する広い知識。「高い教養のある人」「教養が深い」「教養を積む」「一般教養 

教養(きょうよう)とは - コトバンク

 
 
ちょっと違いが分かりづらいかもしれません。
 
大きな違いとしては、学校という部分。
 
教育は、学校という言葉が定義に入ります。
一方の教養は、学校に限りません。
 
 
そして、英語だともっと違うんですよね。
 
教育は、educationです。
一方の教養は、cultureなんです。
 
教育は、なんとなく受動的なイメージがありませんか?
一方の教養は、自発的に大人になってから身につけるものというイメージがありませんか?
 
 
 
 
日本人は、教育制度はかなり整っています。
なので、教育はあると思っています。
 
しかし、教養がないととても感じます。
 
海外、特にヨーロッパに行った時ですが、皆が文化的な背景をとても熱心に勉強している様子が伺えます。
 
フランスの凱旋門、スペインのサグラダファミリア、イタリアのコロッセオ、いろんなところで思いました。
 
欧米人は、概して教養がある人が多いです。
 
一方で、日本人は教養はあまりないかなと思います。
 
寺とか神社とか、その違いを説明できない人も多いと思いますし、葬式とかも詳しくないと思います。
 
 
 
まぁ、宗教的な背景がとても大きいとは思います。
キリスト教が広く浸透している欧米に対して、いまの日本はどうでしょう?
決して仏教ではないと思います。クリスマスとかで盛り上がっているんですから。
 
日本に帰ってからは、お金とかネットに関する教養もまったくないなと痛感します。
 
そういう、学校外で学べることに関して疎いのが、日本人の特徴なのかなと思いました。
 
 
 

日本の英語教育は改善すべき

フランスとフィリピンに行ったときに強く思いました。
 
日本の英語教育は、ほんとうに教育しているのか?と。
 
 
僕が大学1年生のときにフランスに行きましたが、田舎のおじさんでも、皆カタコトの僕よりも流暢に英語をしゃべっていました。
 
 
そして、大学3年生のときのフィリピンです。
このときは英語を勉強しに私費で留学していました。
 
ストリートチルドレンに囲まれることもしばしば。
お金をせがむだけなので、特に怖くはありませんでしたが、まぁそんな社会です。
 
 
あるとき、おとなしくじっと座っているストリートチルドレンがいました。
 
ちょうど僕も暇でしたし、比較的安全で人通りも多い場所だったので、思い切って声をかけてみました。
 
何歳?なにしてるの?お母さんは?学校は?
 
すると、全てしっかりした英語で返してくるではありませんか!?
 
 
お金がなくて、ろくに学校にも行くことができないストリートチルドレンです。
 
そんな10歳も満たない彼らが、20歳そこそこの日本人学生と対等に英語でしゃべっているのです。
 
これは衝撃的でした。
 
普段は「Money!」しか言わない彼らだったので、英語はてっきりわからないと思っていました。
 
しかし、ストリートチルドレンですら英語が話せるのがフィリピン。
 
一方、ヤンキーの日本人が英語をしゃべれるでしょうか?
 
都会で働く一流のサラリーマンですらしゃべれないのが半数というのが日本の現状でしょう。
 
 
 
なぜこんなことが起こりうるのか。
 
やはり、日本の英語教育というのはダメなんだなと痛感しました。
 
ただ文法的に学んでいるだけの日本では、生きた英語力は身につきません。
 
生きるための英語を身につけているフィリピンに、これからどうやって国全体でグローバルで勝負していけばいいのでしょうか。
 
 
 
やり方をいろいろ改めるべきだと本当に思っています。
 
僕自身がそこまで英語を喋れる人ではないので大きな声では言えませんが、日本人は英語を喋れなすぎです。
 
このままでは、いつか世界の中で日本はガラパゴスになります。
 
 
 

儚さという美しさは世界共通

 
悪いことばかり目につきましたが、いいところもありました。
 
儚さという美しさ、これは世界共通でした。
 
 
日本でも、諸行無常という言葉があるように、一瞬の儚さに対する美というのはありました。
 
芸術でも、一瞬しか維持できない芸術品というのは、とても価値があるとされてきました。
 
氷の彫刻とか、まさに一瞬の美ですよね。
 
 
桜とかも、ひとときしか咲かないからこそ美しいと思われます。
 
 
音楽もそうですよね。二度と同じ音は奏でることができない、だからこそこの演奏に価値があるという、これも美です。
 
 
そういう諸行無常の美は、世界でも共通でした。
 
ロッコでは特に感じました。
 
自然界の中で、不安定の中で成り立つ美。
 
儚さを感じるこの一瞬、そこに美しさを感じる。
 
 
 
この感覚は、世界でも共通でした。
 
ちょっと伝えきれていないと思いますが、日本人が大切にしている美の感覚、これはもっと世界に訴えていくことができるものだと思っています。
 
 

まとめ

まとめもなにもないんですけどね。笑
 
 
日本には、いいところも悪いところもあります。
 
特に教育とか教養とかは、もっと見直すべきだと思います。
 
しかし、美に関する感性は、もっと押し出していくべきだと思いました。
 
 
 
もっとグローバル志向な日本に、東京2020後になるといいですね。
 
 
それでは!
 
 
 

落ちるときはとことん落ちよう!

どーも!青空コーヒーです!
 
みなさんにとって、今まで生きてきた中で一番辛かったことはなんですか?
 
 
別れ、失恋、失職、死別、
 
おおよそ辛いものほど、失うことの方が多いんですよね。
 
 
死にたくなるくらいにつらい時は、僕は誰にでもあると思っています。
 
そういう落ち込んだとき、一体どうすればいいのか。
 
僕は実体験でもありますが、とにかく落ち込んだ方がいいと思います。
 
今回は、落ちるときはとことん落ちるをテーマに、
「落ちるときはとことん落ちよう!」
です!
 
 
 
目次
 
 
 

どんなときに落ちるか

まずは、どんなときに人は落ちるのかを考えていきましょう。
 
最初にも言ったように、
別れ、失恋、失職、死別、とにかく自分が今まで持っていた何か失うときに人は落ちやすくなります。
 
 
いままで当たり前だと思っていたものが失われると、人は悲しくなるものなんですね。
 
 
あとは、仕事や学校生活での失敗とか、そういうメインの活動でのつまづきでも、人は心が落ち込んでしまうことがありますね。
 
 
あとは、いわゆるメンヘラと言われる人には多いんですが、
なぜ自分が落ちているのかもわからずに落ちている場合もあります。
 
 
なので、落ちるときにはおおよそ、理由がはっきりしているときと曖昧なときで2パターンあると思います。
 
 
 
 
僕の実体験の場合は、恋愛と研究の2つが同時にダメになりました。
 
一生寄り添って生きていけると思えた恋人を失い、
 
転々としていた研究テーマがまたうまくいかないという結果にぶち当たり、
 
これが両方ほぼ同時に起こりました。
 
いわゆる、仕事もプライベートも、なにもうまくいかない状態です。
 
 
 
もう、あぁ、俺はなんで生きているんだろう。
 
なにも成功しないし、生きがいと呼べる人もいなくなったし、
 
なんで俺は生きているんだろう、
 
 
と、落ちました。
 
普段はこれでも、あまり落ちない方の人間だと思っています。
なんとかなるさ精神が少しはあると思っていました。
 
ですが、このときばかりは、どうにもなりませんでした...
 
 
 
 
 
みなさんにも、そういう時があるかと思います。
 
てか、ある人がこの記事は読んでいるのかなと思います。笑
 
 
 

落ち込んだ時の対処法

普段の僕のブログなら、なぜ落ちるべきかを先に説明するのですが、今回はまず落ち込んだときの対処法をまとめてみます。
 
 
ひたすら泣く
涙活という言葉も生まれましたよね。
 
ただただ泣くという行為も、落ち込んだ身にはよいそうです。
 
心のデトックス効果とも言われる涙活は、涙を流すだけですっきりする効果が得られます。
 
落ち込んでいないときでも、感動する映画を見て泣いたりするだけで、普段実はかかえているストレスを解消することにつながったりします。
 
 
僕のオススメの涙活用映画はレ・ミゼラブルなんですけど、まぁ長いんで、本当に無理ってときには見るといいかなと思います。笑
 
 
 
歩く・体を動かす
ひたすら歩くのも、落ち込んだ身にはいいですよ。
 
重要なのは、とにかく無意識的にでも体を動かすような運動をすること
 
歩く、ランニング、自転車、このあたりでしょうか。
 
体を動かしていると、頭で考え事をしなくてもよくなります。
 
頭の中がすっきりしてきます。
 
僕も落ち込んだときは、自転車で2時間くらい走って、めちゃくちゃおいしいつけ麺を食べるだけの旅行をしたことがあります。笑
 
 
 
 
お風呂に入る
風呂に入るのもとってもいいです。
 
外から身を清めるだけでなく、中から身を清めてくれそうな気もしますしね笑
 
温泉に入るとストレスが解消されるという話もありますし、
とにかく、一糸纏わず水に体を埋めるというのは、体だけでなく心も解放されるのかもしれませんね。
 
 
ハグをする・撫でる
こちらは別記事でも紹介していますが、
 
人は触れ合うことで、信頼ホルモンと呼ばれるオキシトシンを分泌するようになります。
 
オキシトシンには抗鬱効果もあるので、誰かとハグをしたり、ペットを撫でたり、好きな人の声を聞いたり、マッサージを受けるだけでも効果があります。
 
 
美味しいものを食べる
美味しいものを食べるのももちろん効果はあります。
 
基本的には、落ち込んでいる原因=ストレスという解釈ができるので、ストレス解消をすればいいのですから。
 
ストレスとは、つまり自分を抑え込んでいるなにかです。
 
なので、抑え込まれている自分を解放するように、本能のままに好き勝手にすればいいんです。
 
 
太らない程度に、次の日に影響が出ない程度には、美味しいものをいっぱい口にしたり、お酒をたらふく飲んだりするのもいいかもしれません。
 
 
 
ひたすら寝る
ずっと布団と恋人になって寝るのもありです。
 
落ち込んでるんだから、なんにもやる気がなくなっても当然です。
 
何を見ても、何を聞いても、頭に入ってこなかったりします。
 
そういうときは、なにも考えなくて済むように、とにかく寝るのはありですよ。
 
 
ただし、「頑張れ」はNGワード
落ち込んだときの対処法でよくあるのが、「頑張れ」と自分を励まし、他人から励まされること。
 
頑張れよ。
 
そんな大したことないじゃん。
 
なんも気にすることないよ。
 
次があるって。
 
さぁ、立とうよ。
 
 
 
でも、こういう言葉って、落ち込んでいるときにはNGワードだったりします。
 
僕も落ち込んだときに言われました。
やめるなよ、逃げるなよ。って。
 
 
 
なぜこういう言葉がNGワードなのか。
 
 
簡単です。気持ちのベクトルに合ってないからです。
 
落ち込んでいるときは、心は下降傾向です。
 
そんなときに、頑張れとかの上昇傾向の言葉を言われても、すぐにそうはなりません。
 
もちろん、言い続ければ上はむきます。
 
しかし、それは心に大きな負担を強いることになります。
 
 
 
頑張れと言われたところで、楽になることはないんです。
 
 
なので、落ちているときは、とことん落ちるべき、という話につながるんです。
 
 
 

なぜとことん落ちるべきか

 
それでは、本題に入っていきます。
 
なぜ落ちているときは、とことん落ちるべきなのでしょうか。
僕の自論で進めていきます。
 
 
逆のことをしても反動が強くなるだけ
まずは先ほどの通り、気持ちのベクトルに合わないことをしても逆効果だからです。
 
自分の気持ちに嘘をついて「頑張れ」と言っても、
どうってことないって無理してポジティブシンキングをしても、
 
本当の心の底では、辛いとか苦しいとか、そういう気持ちが眠っています。
 
そういう本能的な気持ちと向き合わずに、上っ面の理性だけで押さえ込もうとしても、反動が強くなるだけです。
 
理性でコントロールすることも大切ですが、人間も動物です。
 
本能的に自分がどういう状態にあるのかを理性的に把握するように心がけるべきです。
 
ですので、落ちているときには自己啓発本とかは読まない方がいいです。
僕も落ちた時は、同じような思考をしている人のブログとかを読んでいました。
 
無理して立つよりも、まずは寝転がって空を見上げてみましょう。
 
 
 
落ちるところまで落ちたら、上しか無くなる
とりあえず落ちてみてください。
 
きっと、自分と向き合うことになります。
 
頑張ろうとしなければ、頑張りたくないと思っている本能的な自分の声が聞こえてきます。
 
とにかくその声が枯れるまで聞き続けるんです。
 
気になったことはとにかく調べて、堂々巡りしてみてください。
 
 
おそらくですが、そうしている人ほど死ぬという選択肢はないんです。
 
その前提があるので、そこまでいかない範囲で思考的に落ちても、行動には移しません。
 
 
そして、落ちた先にあるもの。それは上がっていく上り坂です。
 
落ちているのに、なぜ上り坂が見えるようになるのでしょうか。
 
これは、人の根本的な考え方に答えがあります。
 
 
 
 
長期的に見て、人は良くなりたい
 
それは、人にはよりよく生きたいという根源的な欲求があるからです。
 
人には5段階の欲望があり、その頂点が自己実現の欲求です。
 
いまの世の中では、生存欲求や安心欲求は満たされています。
承認欲求も満たされやすくなってきた世の中でもあります。
 
そのため、現在は自己実現をしていく欲求を満たしたくなる世の中になっています。
 
 
たとえ落ちたとしても、人は根源的には上を向きたい、よりよい方を目指したい生き物なのです。
 
いまは下り坂かもしれませんが、もっと長い目でみればそれは登り坂の途中にある谷でしかありません。
 
 
 
こうやって気分を坂で考えれば、落ちるのは簡単ですよね。
だって、下るのにはエネルギーを要しませんから。
 
しかし、登るためには、エネルギーが必要です。
努力とか、やる気とか、パワーとか。
 
でもそれは、とても理性的な考え方を持たないといけないですし、何よりも維持するのがとても大変なものです。
 
 
ずっとエンジン全開で登るのは大変です。
たまには休まないといけません。
 
いまは、その一休みしているときだということを把握しましょう。
 
 
 
辛いことがどうでもよくなる
「いつか登りたくなるんだろうな。」
 
落ちたいと思っている自分もいれば、そういう上昇志向の自分もいることがわかってきましたか?
 
 
 
ここまでくれば、あとは時間の問題です。
 
いつまでたっても下りっぱなしだと、あとで登るのが大変になりますよね。
 
だんだんと、下っている場合じゃないと思うようになります。
 
辛いこと、苦しいこと、それに悩んでいる自分がどうでもよくなります。
ただ止まっているだけの自分が情けなく見えてくるんです
 
下ることに飽きて、落ちることに飽きて、
 
やばい、登らなきゃ!自分はこんなもんじゃない!
 
と勝手に思うようになります。
 
そのタイミングこそ、エネルギーを使って頑張る時です。
 
落ちた分をバネにして、こっからまた上がっていくんです。
 
 
 
いままでの人生を考えてみてください。
 
程度は小さいかもしれませんが、同じようなことが何回もあったと思います。
 
今回は、その程度がすこし大きくなってしまっただけです。
 
そうやって後から振り返れば、きっとそう思います。
 
あそこで悩んでよかった、そう思える日がいつかきっときます。
 
人ってそんなもんです。
感情的になるといまこの瞬間しか考えることができない、ちっぽけな生き物なんです。
 
 
 
 

それでも、最低限生きてみよう

今回のまとめです。
 
落ちるとこまで落ちると、なんで生きているんだろうという人の究極的な問いかけにぶち当たります。
 
 
 
僕も悩みました。
そして、いまもその答えは見つかっていません。
 
というか、見つけたら、それこそ人生の終着点だと思います。
 
 
 
 
そして、生きるというのは1人だけの問題ではありません。
 
会いたい、消えないで、生きてほしい。
 
そう思ってくれる人が、きっと周りにいます。
 
いまは生きることが辛いと思っているかもしれません。
 
しかし、そういう辛さを目一杯感じるからこそ、幸せを噛みしめる力も強くなるはずです。
 
ドラマだってそうですよね。
落ちたときと上り詰めた時のギャップが大きいほど、人は感動するものです。
 
ずっと平凡な毎日では、ドラマにもなりませんし、感動もないですよね。
 
感情に揺れがある、そういう無情なことにこそ美しさが眠っているものです。
 
 
 
 
そしてそして、死ぬというのは必ず誰にでも訪れる出来事です。
 
夢は叶わないことが多いかもしれません。
しかし、死ぬというイベントは必ず訪れます。
 
だから、死にたくないという願いは無意味です。
 
どうせ叶う願い事なんですから、そんなことを思っているよりも、他の夢を追いかけてみませんか?
 
その方が、生きている今でしか成し得ないことなんですから、人生という限られた時間を有意義に使っていると思いますよ。
 
 
 
悲しいことは、必ず消えていきます。
それは、時間が解決してくれるという別の記事をご覧ください。
 
 
 
最後に1つだけ例をあげて終わります。
 
グレイテスト・ショーマンというサーカスをテーマにした映画。
流行りましたよね。
 
その映画での最後の言葉、非常に良かったです。
 
「最も崇高な芸術は、人を幸せにすること」
 
富、見た目、成功、名誉、それがどうした?
 
この映画で主役は、火事によっていままで気づきあげてきたものをすべて失います。
 
 
全てを失った時、残るものはなんだ?
 
落ちた今こそ、自分にあるもの。
 
それが真実。
 
 
グレイテスト・ショーマンの場合は、それが自分を救ってくれた家族でした。
心の絆だけが、主人公の心に残っていたんですね。
 
それが人を幸せにするという、最も崇高な芸術の大切さに気付くきっかけになり、このおかげでサーカス団は再び返り咲きます。
 
 
 
落ちるだけ落ちたら、自分にあるものが恐ろしいほどはっきり見えてきます。
 
そして、もうそれ以外失うものがないという強さにもつながります。
 
 
 
 
落ちるところまで落ちた時、
あなたに残るものはなんですか?
 
それが見えるまで、僕は落ちるべきだと思います。
 
なかなか落ちるタイミングも多くはないと思います。
 
せっかくのいい機会だと思って、自分にある真実を探してみてはいかがでしょうか。
 
それでは!
 

メンタルブロックの外し方 〜自己肯定から始める自分の変え方〜

どーも!青空コーヒーです!
 
みなさんには、嫌いな食べ物はありますか?
 
僕は生魚が食べられません。
 
小さな頃に食べたときに、口がものすごく腫れてしまったんですよね。
 
それ以来、生魚アレルギーと言い張って、生魚を避けてきています。
 
まぁ年に一回くらいは挑戦しているんですが、口の中はやはり痒くなりますし、食感もなにも好きではないです…。
 
 
ですが最近の発見で、おいしいサーモンなら食べられることがわかりました。
やっぱり食わず嫌いだったのかな?と思い始めたこの頃です。
 
 
 
 
さて、前置きが長くなりましたが、笑
 
みなさんにも、これは嫌だと思い込んでいるようなこと、あるのではないでしょうか。
 
このようなマイナスの固定概念は、メンタルブロックとも言われます。
 
今回はこのメンタルブロックについてまとめます。
テーマは、
「メンタルブロックの外し方 〜自己肯定から始める自分の変え方〜」
です!
 
 
 
目次
 
 
 

メンタルブロックとは?

まずはメンタルブロックの説明から。
いろんな説明がいろんなところでされています。
 
簡単に言うと、マイナスの固定概念
 
直訳すると、心の障壁
 
カッコよく言うと、心のリミッター
 
もっとカッコよく言うと、マインドブロック。
 
もう少し言うと、潜在意識の中にあるネガティブな概念
 
みたいな感じでしょうか。
 
 
 
人がなにか行動を起こす際に、このメンタルブロックが影響します。
 
僕にはできない
ダメだ
無理だ…
 
このように否定的に考えて、行動を抑制してしまう、こんなかんじです。
 
結果的に、なにも行動に起こせなくなってしまいます。
すると、本来持っているはずの能力を発揮できなくなり、あらゆる選択の場面で消極的な選択をしてしまうんです。
 
自分で決め込んで、勝手に可能性を閉ざしてしまっているんですね。
なので、メンタルブロックはダメなこと、とよく言われます。
 
 
似たような言葉で、トラウマがあります。
 
これは言葉の定義の問題ですが、
 
メンタルブロック
人間が何か行動等を起こす場合に、出来ないダメだ、無理だと否定的考えてしまう思い込みによる意識の壁、あるいは抑止制止する思考のこと。

メンタルブロックとは何? Weblio辞書

 
 
しんてきがいしょう 【心的外傷】
 
 
 
辞書が違うんですけど、メンタルブロックは思考のこと、トラウマは体験といえます。
 
体験とは、つまり過去で起こった出来事です。
なのでトラウマは、一般的には幼少期に起こった、心にダメージが残るような体験のことをさします。
 
トラウマの方が根深いことが多いです。
 
 
それに対してメンタルブロックは、思考のことです。
勝手に自分で作った、内向的な考え方です。
 
 
 
また、あるサイトでは、メンタルブロックは「顕在意識と潜在意識が一致していない状態」と紹介しています。
 
僕が読んだ記事の中では一番的を得ていると考えています。
 
ぜひこちらのサイトをご覧になってみてください。
 
 
 

なぜメンタルブロックが生まれる?

それでは、なぜメンタルブロックが生まれてしまうのでしょうか。
 
その原因を考えていきましょう。
 
 
過去の失敗経験
まずは、過去の失敗経験がメンタルブロックを生み出す原因としてあげられます。
 
昔逆立ちをした際に、誤って怪我をしてしまった。
そこから逆立ちするのが怖くなった。
 
まぁこんなところでしょうか。
 
 
過去に失敗した経験があるからこそ、同じ行動をした結果が想像できてしまいます。
 
そのような場合は、メンタルブロックが発生し、その行動を起こさないようにしようと判断してしまいます。
 
 
これはかなりトラウマに近いですね。
 
トラウマがメンタルブロックを生み出している、と言ってもいいのではないでしょうか。
 
 
自分に対する周囲からの評価
自分に対する周囲からの評価、これもメンタルブロックを生み出す原因になり得ます。
 
自分のことを周りがどのように評価しているか、気になりますよね。
 
あの人って賢いよね〜
なんか臭くな〜い?
何考えてんの、バカじゃないの
 
とか、良くも悪くも想像してしまうことが多いと思います。
 
 
なかでも特に、悪い評価に対しては人は敏感に反応してしまいます。
 
すると人は、その悪い評価を避けようとして、その評価を引き起こす行動を止めようとします。
 
 
成長過程における環境
そして、自分が成長してきた、その過程における環境がメンタルブロックには大きく影響します
 
幼少期に聞いた親の言葉、学校の友達が言っていたこと、テレビで見た情報など。
 
これらは外部から得た情報ですが、環境自体も影響します。
 
英才教育の幼稚園と、ほったらかしの保育園。
 
この両者で比較するなら、やはりその人の根底にあるもの、つまり価値観に影響しそうですよね。
 
価値観というのが、メンタルブロックでは一つキーワードになります。
 
 
 
先入観・思い込み
価値観と似た言葉に、先入観思い込みがあります。
 
一応定義の確認をしておきますね。
 

かちかん 【価値観】

 

せんにゅうかん  【先入観】

前もってつくられた固定的観念。それが自由な思考妨げるときにいう。思い込み先入主先入見。 

 

 
 
考え方という点では同じです。
 
価値観は、価値を認めるかどうかという判断基準です。
先入観は、とにかく以前から思い込んでいた固定的な観念です。
 
大きな違いは、先入観が自由な思考を妨げるという点。
価値観という言葉にはそのような妨げるという意味はありませんよね。
 
 
この妨げるという意味を含んでいる点で、先入観=メンタルブロックといえます。
 
苦手という感覚、これもただの先入観です。
 
 
 
そして、先ほどの参考サイトでは、「顕在意識と潜在意識が一致していない状態」と紹介している、と言いました。
 
ここでいう潜在意識=価値観や先入観です。
 
顕在意識は、自分が意識的に思っていることです。
潜在意識は、無意識的にそう判断してしまうことです。
 
 
意識的にある行動をとろうとしても、無意識的にそれはダメだと判断してしまう。
結果として、潜在意識が行動を起こさせない、つまりメンタルがアクションをブロックしている、というわけなんです。
 
 
 
現状維持バイアス
僕のブログでは、現状維持バイアスを中心に話を広げています。
 
人は、危険を恐れるという原始時代の本能的な部分があります。
そして現代人は、変化=危険と判断して、変化を恐れます。
 
そのため、変化することを恐れて、現状維持を選択しようとするんです。
 
これが現状維持バイアスです。
 
価値観や先入観。これらがその人の人格を構成していると言っても過言ではありません。
 
ですが、メンタルブロックの多くは、価値観や先入観によってもたらされます
 
しかし、昔からの考え方を変えようとすると、現状維持バイアスが働きます。
考え方に沿って行動も変わってしまうのがほとんどですから。
 
なにか新しい行動を起こそうとすると、その先に待っているのは、予測不能な将来。
それを恐れて、危険と捉えるため、やはり価値観や先入観の変更はなかなかできません。
 
 
 
 
なにか行動を起こそうとしましょう。
例はそうですね。苦手なものとする人が多い、飛行機にしましょうか。
 
飛行機が離陸するとき、エンジンによるものすごい加速が発生します。
そして作用・反作用の法則、もしくは慣性の法則によって、人は後ろに引っ張られるような力を受けます。
 
さらに上空は気圧が低くなるため、耳が痛くなる現象が発生します。
 
さらにさらに、気流による揺れは、船で感じる波の揺れよりもひどい時があります。
 
 
こうしたことから、飛行機が苦手な人が多いのも事実です。
 
飛行機が苦手な人は、飛行機に乗ろうとすると、メンタルブロックがそれを邪魔してきます。
 
「本当は怖いんじゃないのか〜」
みたいな(テキトーです、ふざけました笑)
 
メンタルブロックによって、不安や恐怖感に囚われてしまいます。
こうして精神的にも神経的にもバランスを崩すと、顕著に体に反応があらわれます。
 
頭痛、目まい、吐き気、これらもすべてメンタルブロックからきています。
 
 
 

メンタルブロックの外し方

それでは、メンタルブロックの外し方はどのようにすればいいのでしょうか。
 
多くの記事は、
メンタルブロックを見つけて、
それを解除する、
という大きな流れで一致しています。
 
僕もその流れでまとめていこうと思います。
 
 
例としては、飛行機に乗るのが苦手だけど、乗らないといけないパターン。
あとは、人前でしゃべらないといけないパターンの2つで書いていこうと思います。
 
 
メンタルブロックを見つける
まずは、ある行動を取る上で、その行動を取りたくないとしましょう。
 
その際、その取りたくない行動を見つけましょう。そこにメンタルブロックがあります。
 
飛行機に乗るのが苦手な場合、先ほど言ったように、揺れなどのジェットコースター感覚なところが苦手だとしましょう。
 
人前で喋るのが苦手な場合、人に見られるのが苦手としましょう。
 
 
苦手なものは苦手でいいんです。
とにかく、メンタルブロックがあるということを意識化することが大切です。
 
たいていの場合、よくわからずにその行動を取っていないんです。
そして、メンタルブロックの原因が価値観や先入観によるものだ、ということを理解していません。
 
なので、原因を追求する感じです。
 
なるべく細かく原因を突き止めるといいですよ。
特に、メンタルブロックによる身体の反応に注目してみてください。
 
飛行機に乗ると頭痛がするとか、人前に出ると体温が上がって顔が赤くなるとか。
身体の変化を感じ取るだけでも、メンタルブロックを見つけることにつながりますよ。
 
 
 
怖がる自分を受け入れる
ここが大切です。
 
メンタルブロックによって恐れてしまう、そんな自分を認めてあげましょう。
 
誰しもそういう怖いことはあります。
 
そして、価値観や先入観は、なかなか簡単に変えられるものではありません。
 
まずは、メンタルブロックはすぐには取っ払えない障壁だということを理解して、メンタルブロックによって阻害されてしまう自分を素直に認めましょう。
 
強い人こそ、自分の弱さを知っているものですよ。
 
 
他のサイトでは、自分を騙すだとか、自信を持つだとか、いろいろ言っています。
 
しかし、手順が抜けています。
 
まずは自分の弱さ、自分にはメンタルブロックがあって、思うように動けていない、そのような現実を受け入れるステップが必要です。
 
自信というのは、その上で出てくるものです。
 
 
 
飛行機に乗るのが怖いんだね、揺れはたしかに怖いよね。
人前は緊張するよね、数百の目が自分を監視しているような気がするもんね。
 
そうやって弱い自分を認めてあげましょう。
 
 
 
価値観や先入観を変える
ここは、一番難しいことです。
 
メンタルブロックを形成する価値観や先入観を変えることで、障壁をなくしていくのがこの段階です。
 
これがとても難しく、セラピストやコーチングのスペシャリストは、これが得意なんです。
 
 
いくつか方法があります。
 
まずは、情報をとにかく集めること。
 
飛行機の揺れなら、その原因をとにかく調べる。
気流による揺れ方、エアーポケットに関する情報など。
いつどれくらい揺れやすいかなどの情報を集めます。
 
人前で緊張する人は、緊張するメカニズムについてとにかく調べます。
なぜ血圧が上昇するのか、その結果なぜ喉が渇いたり、あくびが出るようになるのかなど。
 
 
人は、わからないことに関しては恐怖を抱きます。
だって、未知なので、それを危険と捉えてしまうからです。
 
そして多くの場合、事前に体験をすることができません。
 
しかし、情報に関しては事前に集めることができるのが、現代のインターネット社会。
 
意識的に自分のメンタルブロックやそれを構成する原因に関して、情報を集めてみてください。
 
すると、価値観や先入観に関する情報が得られるかもしれません。
 
そして、それが大したことないことだと気付くかもしれません。
 
 
 
価値観や先入観を変える2つ目の方法は、ポジティブな人のそばにいることです。
 
価値観や先入観がおかしいと気付くためには、やはり人と比べるのが一番簡単でわかりやすいです。
 
 
そして、自分の抱えるメンタルブロックを持っていない人のそばにいるのが最良です。
 
なぜなら、その人は自分とは違う価値観や先入観を持っているため、メンタルブロックを持たずに済んでいるから、です。
 
それが自分からしてみると、大抵の場合はポジティブシンキングをしている人になります。
 
彼らは、不安や恐れを無駄に抱くのではなく、楽しみなどのポジティブなプラス思考でいることが多いです。
 
 
飛行機は怖いんじゃなくて、揺れを楽しむものだよ。
人前で見られることって、なかなかない機会だよ。光栄じゃない?
 
みたいな感じです。
 
 
 
 
上の2つの方法に共通するのは、感情を切り離して客観的に見ることです。
 
メンタルブロックは無意識的なところから発生する、つまり主観によるところが大きいです。
 
なので、自分の感情を取り除いた、客観的な視点を入れることで、自分の価値観や先入観を正していくんです。
 
 
 
メンタルブロックがあるのは仕方ありません。
それを意識的に変えていくのが大切です。
 
 
 
 
とりあえずやってみる or 3割の法則
価値観や先入観は、そうそう簡単には変わりません。
 
なので、同時並行で行動にも移していく必要があります。
 
 
その際に、2つに分かれます。
 
シミュレーションができることと、できないこと。
 
飛行機に乗ることは、あまりできない体験なので、似たシミュレーションはできないと言っていいでしょう。
 
そのような場合は、とりあえずやってみるということが非常に重要な考え方となります。
 
作業興奮という言葉もあるのですが、やる前が一番恐れているんです。
行動に移したら、意外と大したことないじゃん、ということがほとんどです。
物事だいたいはなんとでもなりますよ〜なんくるないさ〜笑
 
 
一方、人前で話すことはある程度は本番前にシミュレーションすることができます。
 
そういうときは、本番を10と考えて、3割の法則に従って行動に起こしていくことが大切です。
 
 
人前で話すことが10だとしたら、友達2人の前でかしこまって話す、を3割だとしましょう。
まずは友達相手に練習です。
 
 
 
いきなり10やれって言われても、なかなかできるものではありません。
なので、3割くらいから始めて、徐々に体をならしていくんです。
 
この、細分化して障壁を小さくすることで行動が起こしやすくなることを、スモールステップの原理とも言います。
 
どちらも記事があるのでこちらどうぞ!
 
 
 
 
プランを立てる
少しでも行動が起こせるようになった、それだけで止めてはいけません。
 
なんども繰り返し、その行動をとる必要があります。
 
しかし、ちょっとやってみて感じた失敗もしくは反省、あると思います。
 
それは改善していく方がいいですよね。
 
 
 
なので、行動を起こしたら、その先を少し見すえた計画を立てる方がいいです。
 
友達の前ならちゃんと話せるとわかったとしましょう。
 
そしたら次は、友達を増やしていく、場所を本番の場所にする、当日の流れに沿ったリハーサル、本番、のように段階ごとの計画を立てていく感じです。
 
このそれぞれの段階で、慣れながら階段をあがっていくんです。
 
 
 
もちろん、途中でつまづくことがあるかもしれません。
本番の会場に行ったら緊張が止まらなくなってしまった、みたいな。
 
 
そういうときのために、ある程度は代替プランを考えておくといいです。
 
本番の会場でダメなら、プランBで、同じくらいの大きさの会場でやって、会場の大きさに慣れる、みたいなかんじです。
 
 
 
 
 
習慣化する
少しずつでもいいです、行動に起こせるようになったら、次は習慣化です。
 
メンタルブロックは、価値観や先入観を変えることで生じた新しい行動によって、だんだんと小さくなります。
 
しかし、これには継続することが必要です。
 
一度でもやめてしまうと、再びメンタルブロックができてしまいます。
 
 
なので、継続して行動に移せるようにしなければなりません。
 
でも、意識的に行動するのはやっぱり疲れます。
脳がその行動を起こすためにエネルギーを使ってばかりいては、他の行動にもつながりませんから。
 
そこで脳は、ある程度反復される行動を習慣として捉え、その行動を無意識的にできるようにしていくんです。
 
これが習慣化です。
 
 
 
考えてみてください。
 
歩くときに、右足を出したら次は左足、右足を出すときは左手を振って、…とは考えませんよね?
 
歯磨きだってそうです。寝る前になったら無意識的に洗面台に向かったりしませんか?
なにも考えずに歯磨き粉を歯ブラシにつけていませんか?
 
 
日常生活の大半は習慣です。
 
最初はある程度の積極的な改革が必要ですが、時間が経つにつれて習慣化されると、無意識的にできるようになる、これがポイントです。
 
 
 
 
飛行機の例はあまり習慣化とは縁がないので、人前で話すことを例に。
 
まずは人前に立つことから。
じっと立っているのが難しかったら、誰かと一緒でもいいですし、最初は観客が数人でもいいです。
 
スモールステップの原理に従って、小さな段階から始めていきます。
 
そして、手が震えるなと感じたときは、目を閉じて深呼吸を一度することで落ち着きを取り戻せる、という方法を見つけたとしましょう。
 
最初は意識的に目を閉じて深呼吸をします。
一回で落ち着かないときは、落ち着くまで繰り返します。
 
これを、人前に立ったら必ずやる、と意識的な行動にします。
 
 
でも数回繰り返しているうちに、身体がそれを覚えるんです。
 
人前にいる、緊張しているな、目を閉じて深呼吸しなきゃ、
 
と、勝手に無意識的に、目を閉じて深呼吸をするようになります。
 
 
 
これはジンクスみたいな感じですが、ジンクスも立派な習慣です。
 
メンタルブロックが外れるような行動は、最初はとにかく意識的に行い、だんだんとその行動を無意識化、つまり習慣化していくのが大切です。
 
 
 
周囲や先を見る
習慣化と言っても、小さなことからです。
 
ですが、小さなことが無意識的にできるようになれば、それまで使っていた意識はどこに向ければよいのでしょうか。
 
 
 
それが、周囲です。
 
周囲を見る余裕が生まれれば、
「なんだ、意外とみんな自分のこと見てないじゃん」
と、人前で思えるようになるかもしれません。
 
はたまた、
「こう言ったけどこう質問されそうだなぁ」
という将来の先読みもできるかもしれません。
 
 
ある程度無意識的に行動ができる、そんな余裕ができてたなら、ぜひ周囲や先など今まで目に入ってこなかったことに意識を向けてみてください。
 
メンタルブロックを外すどころか、さらに高みを目指せますよ!
 
 
 

まとめ

いかがでしたか?
 
 
ちょっと言い忘れていることがあるので、3つほど。
 
 
1つ目、
メンタルブロックを外す、この話をしているサイトは、だいたいがセラピストのサイトです。
 
彼らは、話を聞いて、どんな価値観や先入観があるのかを特定でき、それを変える力を持っているんです。
 
そのスペシャリスト達ではあります。
 
 
しかし、サイトで書いているのは、とても抽象的で一般的なことばかり。
なぜなのか。
 
それは、価値観は人によって違うから。
どんな環境で育ってきたかによって、その人を構成する価値観や先入観はまったく違います。
 
セラピストは、その人にあったやり方でアプローチして、メンタルブロックを解除していきます。
 
なので、サイトでは誰にでも当てはまるような、占い師てきな書き方しかしていません。
結果として、僕も例を挙げたとしても、そういう書き方になります。
 
それは大前提として、いろんな記事は読まないといけません。
 
 
2つ目、
メンタルブロックの外し方、というサイトがたくさんありましたが、なんとなくですが、簡単に外せると思っていませんか?
 
 
成長とか成功とかが、そんなに簡単で楽にできるものであれば、みんな苦労はしません。
 
逆に、成長とか成功のためには、惜しまない努力や、大きな変化が必要になることがほとんどです。
 
「〜をする〜つの方法」
 
みたいな記事はたくさんありますが、そんなに上手くはいかないと思ってください。
 
結果はすべて自分次第です。
自分としっかり向かい合って努力できる人だけが成功していくんです。
 
 
 
 
 
3つ目、普通に今回の話をまとめます。
マイナスの固定概念であるメンタルブロック
これは、その人が育ってきた環境、いままで培った価値観先入観によるところが大きく、現状維持バイアスによってなかなか変えようとはしません。
 
いきなり変える前に、まずは自己肯定から。
弱い自分を認めることから始めましょう。
 
そして重要なのは、言葉でも行動でもどちらでもいいです。
とにかくアウトプットをすることです。
 
少しずつアウトプットを積み重ねていき、習慣化することを目指しましょう!
 
それでは!
 

どうにでもなれ効果とは? 〜自己嫌悪から始まる本能の洪水現象〜

どーも!青空コーヒーです!
 
みなさんは、新しい習慣を始めようとしていますか?
 
僕はお腹周りの脂肪を減らすために、定期的な運動をしようと心がけています。
 
しかし、なかなか習慣というのは続かないものです。
 
1日サボってしまうと、もうどうでもいいやぁ、という気持ちになってしまい、なかなかお腹の脂肪は落ちません…
 
 
みなさんこういう経験があると思いますが、これは「どうにでもなれ効果」と呼ばれる、立派な心理学的な現象なんです。
 
今回はこのどうにでもなれ効果についてまとめます。
テーマは、
「どうにでもなれ効果とは? 〜自己嫌悪から始まる本能の洪水現象〜」
です!
 
 
目次
 
 

どうにでもなれ効果とは?

まずは、どうにでもなれ効果の簡単な説明から。
 
この名前こそが、なんだこれ?感が強いんですよね。笑
 
でも、論文にも使われますし、心理学ではれっきとした専門用語なんです。
 
どうにでもなれ効果は、英語ではThe What-The-Hell Effectと言われます。
 
 
このどうにでもなれ効果は、トロント大学ジェネット・ボリヴィ(janet Polivy)さんが提唱しています。
 
ダイエットについて研究しているポリヴィさんは、実験を通してどうにでもなれ効果を証明しています。
 
 
この実験では、ダイエット中の人に体重計に乗ってもらい体重を確認するというシンプルな実験ですが、その体重計には実際よりも2kg重く体重が表示されるという工夫が施されていました。
 
その体重を見たダイエット中の人は、結果としてダイエットを頑張ろうと思うよりも、逆にやけ食いに走ってしまった、というのが実験結果です。
 
 
さらに別の実験でも、ダイエット中の人は甘いものをたった一口食べてしまっただけで、やけ食いをしてしまう、ということが証明されています。
 
 
本来なら、ダイエット中なんですからやけ食いはご法度ですよね。
 
それにも関わらず、本来の目的とは真逆のことをしてしまう
 
この現象を、どうにでもなれ効果というんです。
 
誰が日本語でどうにでもなれと命名したのかはわかりませんが、センスの塊ですよね。覚えやすいですし、的確ですし。
 
 
 
このどうにでもなれ効果は、綿密な計画を立てる人に起きがちと言われます。
 
しかし、よくよく考えてみてください。
 
ダイエットしようとする人は、おそらく計画を立てる人が多いと思います。
 
だって、ダイエットしようともしない人は、そもそも計画を立てることもしませんもんね?笑
 
なので、ダイエット計画する人のなかでも、1日のスケジュールを細かく作っているような律儀な人ほど、どうにでもなれ効果が起きやすいという解釈でいる方がいいです。
 
ずぼらだけどダイエットに成功するのも、このどうにでもなれ効果が大きく影響していると考えられます。
 
 
 

なぜどうにでもなれ効果が発生するのか

それでは、なぜどうにでもなれ効果が発生してしまうのか。
これを考えて、原因を突き止めていきましょう。
 
 
小さな失敗で後ろめたくなる
まず、ダイエットが失敗に陥ったりするのは、小さな失敗がきっかけとなることが多いです。
 
人から勧められて、ついシュークリームを食べてしまった、みたいな。
 
本当に小さな出来事です。
でもそれは、それまで自分が制限していたこととは真逆の行動です。
 
そうすると、自分が設定してきたルールから脱線するので、自分に対して後ろめたくなります。
自分のことを自分で勝手に恥ずかしく思ってしまうんです。
 
 
自己嫌悪に陥る
自分を恥ずかしく思ったり、後ろめたく思ったりした次です。
 
そんな自分に対して、「あぁ、なんて自分はダメなんだ…」という風に思ってしまいます。
 
つまり、自己嫌悪に陥ってしまうんです。
 
自己批判をすることで、モチベーション低下につながり、罪悪感に苛まれ、最悪の場合はうつにつながります。
 
 
 
ダメとわかっていてもやってしまう、なんで自分はこんなにダメなんだろう、なんで自分さえもコントロールできないんだろう、と思い込んでしまうんです。
 
こうして自分に対して希望をなくし、セルフコントロールから自分を解放しようとします。
 
 
異常な方法で自制心から解放する
自分が嫌なんですから、そりゃあ自分が決めたルールも嫌に決まっています。
 
そんなの取っ払ってしまいたくなります。
 
こうして自制心を解放するのですが、それが常軌を逸脱してしまうんです。
 
つまり、リバウンド
 
 
一度自制心を解放してしまうと、なかなか歯止めをかけることができません。
 
人からもらったシュークリームも、もう一個!ともらってしまうかもしれません。
さらに、帰り際にもコンビニに寄ってしまうかもしれません。
 
悪循環にはまってしまい、どんどん悪い方向に進んでしまうんです。
 
これを端的に表すなら、まさにどうにでもなれ!ですよね。
 
 
では、なぜどうにでもなれと思ってしまうのでしょうか。
 
 
大脳新皮質を休ませるため
これに関しては、自制心のもととなる脳の大脳新皮質という部位を休ませるため、と説明することができます。
 
これに関しては、モラル・ライセンシングという別の現象に関する記事でも説明しています。
 
 
ストレス感じたら脳が報酬を求める、という感じです。
 
このモラル・ライセンシングと現象は若干異なりますが、原理的にはほぼ同じです。
 
 
大脳新皮質は、人間において特に発達した、理性的な部位です。
脳のしわくちゃしている部分です。
 
我慢できるのも、将来のことを考えることができるためであり、大脳新皮質が発達した人間の特徴とも言えます。
 
しかし、人間もやはり動物です。本能があります。
 
我慢という言葉の通り、何かを抑えているんです。
その抑えられているものこそ、本能です。
 
つまり、大脳新皮質の理性によって、本能を抑制しているんです。
 
 
 
ですが、大脳新皮質を動かすには、相当なエネルギーを必要とします。
頭を動かすために糖分が必要というのも、この大脳新皮質を動かすためです。
 
 
ずっと頭を動かすのも疲れますよね?
 
 
 
本能という言葉にも、動き出したら止まらない、というイメージがなんとなくあると思います。
 
一度抑制から外れた本能は、なかなか理性では止められません。
 
堤防が決壊した洪水のような感じでしょうか。
 
 
 
このどうにでもなれ効果、ダイエット以外にも、よくお金アルコール買い物に関しても言われます。
 
これらは、自分で自分を制限しようとする目標を立てるからこそ起こってしまうと言われます。
 
理性的なコントロールをしようとしたら、その分の反発で本能がガッと動いてしまうのですね。
 
 
all or nothing とも言われますが、まさにその通りです。
理性が働いている限りはですが、一度でもリミッターが外れてしまうとになってしまうんです。
 
 
 
 
この他にも、僕のブログでメインテーマにしている現状維持バイアスも関連しますが、モラル・ライセンシングの記事で説明してあるので、ここでは割愛します。
 
 
 
 

どうにでもなれ効果からの脱出

それでは、どのようにどうにでもなれ効果から脱出すればよいのでしょうか。
 
ポイントは3つ。
  • 自己嫌悪に陥らない
  • 理性を取り戻す
  • 本能的な制御をする
これに限ります。
 
自己嫌悪に陥らない
まずは、一度の失敗だけで自己嫌悪に陥らないことです。
 
さっきのシュークリームの例ですが、それではシュークリームを持ってきた側の立場になってください。
 
ダイエット中の友達が、私はいらないと言っているとしましょう。
あなたはどう思いますか?
 
「そんなシュークリーム1個で変わらないでしょ〜笑」
 
そうは思いませんか?
 
他人のことになると、なぜか急に甘くなるんですよね。
 
 
 
でも、そんなもんだと思います。
 
誰にでも、甘えたくなったりすることがあると思います。
計画通りにいかないことは、必ずあります。
人間ですから、誰でもミスをします。
 
ですから、たった一度だけの失敗で、自分はダメなやつという認識をしてはいけません。
 
自分を客観的に見たら、絶対にそんなことは思いません。
 
ましてや、人間は動物です。
よくそこまで本能を抑えることができているな!と褒めることができるくらいには、自分を理性でコントロールできていると思いますよ。
 
 
 
もし自己嫌悪に陥りそうになったら、ぜひ他人にアドバイスを求めてみてください。
 
他人であれば、感情なしで事実を客観的に捉えてくれます。
 
 
事実を客観的に捉えることができるようになれば、失敗の原因を理性的に考えることができるようになります。
 
 
 
まずは、自分を責めるのではなくて、自分を許してあげることから始めてみましょう。
 
人間って、そんなに強い生き物じゃないですよ。
 
 
理性を取り戻す
一度の失敗をしたけれども、自己嫌悪に陥らなかった。
その次は、失敗を繰り返さないことが大切になります。
 
つまり、コントロールしていた理性を取り戻すことです。
 
スポーツや瞑想の世界でも、よく言われます。
集中力は、持続できるかどうかが問題ではなく、集中力が切れたときにいかに元どおりにするかが大事なんです。
 
それくらい、理性を取り戻すということは高次の行動なんです。維持することよりも圧倒的に難しいんです。
 
 
理性を取り戻すための方法としてよく言われるのが、長期的な目標を作ることです。
 
短期的に綿密な計画を立てていると、どうしても一度の失敗から立て直すのが難しくなってしまいます。
 
それよりも、もっと長期的に見た方が、理性的に物事を判断しやすいんです。
 
本能は、目の前のシュークリームのことしか考えていません。
 
ですから、明日、明後日、来月、と長い目で見ることが理性を取り戻すことにつながるんです。
 
 
失敗してしまうのは仕方ないと理解できたのであれば、次は失敗から立ち上がることを意識してください。
 
 
 
本能的な制御をする
一見すると矛盾した言葉のように見えます。
 
僕が言いたいのは、本能に沿った理性的制御をするということです。
 
 
 
簡単な例を出します。
 
「今からシロクマのことは考えてはいけません」
という簡単なテストです。
 
そう言われてしまうと、なぜかシロクマのことを考えてしまうんですよね。
 
白くて大きくて、かなり獰猛で、雪の中をのうのうと歩く姿、旭山動物園でダイブしている姿…
 
 
やめるという制御的な行動は、理性的な行動です。
 
 
こんなときはよく、代替行動をしろ、と言われるんですが、そういうサイトは具体的な話をしていません。
 
 
 
 
僕はこの代替行動を、本能に沿った行動を理性的に制御すれば解決すると思っています。
 
例としては、ダイエットした日を数える、野菜を1kg食べた日を数える、という獲得の行動です。
 
本能と獲得という言葉は、かなり密接な関係があります。
なんとなくおわかりいただけるかと思います。
 
禁酒の日を数える、は少しおしいですね。元となる行動が禁止するとなっているので、獲得とは言い難いです。
 
それなら、シラフの日を数える、とした方が獲得の意味合いが強くなります。
 
 
 
新しい習慣を始めるときは、大抵の場合なにかをやめることがほとんどだと思います。
 
 
そのとき、制御中心で考えるのではなく、自分が心の底から無意識的にでもやりたくなるような、そういう本能的な行動になるように、理性的に制御するということを考えてみてください。
 
 
 

まとめ

いかがでしたか?
 
どうにでもなれ効果は、理性的に本能を抑制しているために起こってしまいます。
 
ですが、それは動物として仕方ありません。
 
失敗してしまう自分を認めて許してあげることから始めてみましょう。
 
そして、本能的にしたくなるような行動を取るように心がけてみてください。
 
それでは!

転換期!

どーも!青空コーヒーです!

 

 

今日は自分の近況についてです。

 

先日、3月下旬に無事に大学院を卒業しました!

 

いや〜このブログを始めた一昨年には、本当に夢にも思っていませんでした。

 

研究もうまくいかず、彼女に振られ、面接もダメで、もうなにもかもがうまくいかなかったあの時。

 

もう大学院もなにもかもやめて、一回リセットしようと思ったときです。

 

 

いろいろ悩んで、考えて、わからなくなって、調べてみて、それを自分なりにまとめる場所として、このブログサイトを作りました。

 

自分がわからなくなったときに戻る場所、として自分の考えをプールする場所にしようと思っていましたが、100記事くらい書いてくると、やっぱり溜まるものですね。

 

 

 

いまのところ、このブログを読み返さなければいけないような状況にはなっていません。

 

研究はなんとかなりましたし、彼女はいないけど平穏に暮らせています。

 

仕事も4月から始まって、研修終わってこれから本番という感じです。

 

 

 

 

いまになって思うことは、ブログを書いてよかったなという素直な気持ちです。

 

自分の考えって、なかなかまとまらないですよね。

 

新書とか読むと、あぁそんな考え方もあるんだ!ってけっこう影響受けがちですし、感動するテーマ性のある映画とかドラマ見るだけでも影響されがちです。

 

でも、そこで気になったこととかを調べるようになりましたし、その本質的な部分が自分の考えに一致するのかという比較もできるようになりました。

 

それはすべて、このブログを作ったおかげで、自分の軸っぽいものが見え始めたからです。

 

 

 

 

人はそうそう変われません。それは僕がこのブログで現状維持バイアスを中心に話していること。

 

でも、自分が気づいていないだけで、本当に自分が大切にしていることというのは根っこに必ずあります。

 

それに気づくと、きっとそれを基準にして、どう変わるべきなのかという道が見えてくる、そんな感じがします。

 

 

 

 

まだまだ僕も考えが甘いですし、これから社会人として生きていく中でより多くの人と出会い、考え方がまた変わるかもしれません。

 

ですから、やっぱりこのブログは継続していこうと思っています。

 

なかなか更新頻度が高くはなくなると思いますし、おそらく土日だけの更新になります。

 

あらかじめテーマを決めておいて、電車とかの時間で調査して、自分なりに考えをまとめて、土日に更新する。

 

このサイクルを守っていきたいなと思っています。

 

 

プロフィールも更新して、心機一転これからも前向きに生きていこうと思います!

 

それでは!

セルフ・ハンディキャッピングとは? 〜無能さを見透かされた言い訳〜

どーも!青空コーヒーです!
 
みなさんは、言い訳をよくする人ですか?
 
テスト前に、
「いやぁ、昨日全然勉強しなかったわ〜。」
 
「やっばい、家の掃除してたら勉強できなかった..」
 
こういう人、いますよね?
 
これ実は、セルフ・ハンディキャッピングと呼ばれる、立派な心理学用語で説明されるんです。
 
今回は、このセルフ・ハンディキャッピングについて。
テーマは、
セルフ・ハンディキャッピングとは? 〜無能さを見透かされた言い訳〜」
です!
 
 
目次
 
 

セルフ・ハンディキャッピングとは?

セルフ・ハンディキャッピングは、エドワード・E・ジョーンズによって提唱されている心理学用語です。
 
 
これは、
 
自分自身の失敗の理由は自分の外側に、
自分自身の成功の理由は自分の内側に求めるための事前工作
 
という感じです。
 
 
もう少し簡単に言うと、
 
自らの評価や自尊心を下げないための自己防衛
 
という感じです。
 
 
このセルフ・ハンディキャッピングには、大きく2種類あります。
 
 
自らそういう状況を作る、獲得的セルフ・ハンディキャッピング
 
口に出して宣言する、主張的セルフ・ハンディキャッピング
 
この2つです。
 
 
 
人間は、とても社会性のある生き物です。
一人では生きていくことが困難なため、どうしても集団社会の中で生きることが多くなります。
 
すると、集団の中での自分の立場、人からの見られ方というのは、切っても切れないものです。
自尊心がすっからかんの状態では生きていけません。
 
そして、特に日本人ですが、泥臭く頑張ることを嫌う傾向があります。
かっこよくクールに、決めるところは決める、そういう人の方に好感を持ちがちです。
 
そのため、泥臭く成功することよりも、手を打って自尊心を守ることが重要だ、と判断する場合があります。
 
このとき、セルフ・ハンディキャッピングが発動します。
 
 
 
似た言葉に、現実逃避という言葉があります。
しかし、現実逃避は自分だけの問題ですよね。
 
自尊心、つまりプライドを守るための自己防衛機能としてのセルフ・ハンディキャッピングなので、現実逃避とはまた違います。
 
 
 
 

セルフ・ハンディキャッピングによるメリット

嘘とまでは言いませんが、あえて言い訳をしてまでもセルフ・ハンディキャッピングをするのには、もちろんそれなりのメリットがあるからです。
 
失敗しても面子を保つことができる
それは、面子(めんつ)を保つことができるということです。
 
面子という言葉は麻雀ではよく使われますが、世間への体裁という意味です。
評判といえばいいでしょうか。
 
 
 
テストの例が一番わかりやすいので、そのまま進めましょう。
 
「いやぁ、昨日全然勉強しなかったわ〜。」
 
この後にテストを受けて、あまり点数が良くなかったとします。
すると、
 
「あ〜ぁ、やっぱりな。勉強しなかったもんな〜。」
 
と済ませることができますよね?
 
 
 
失敗したときには、セルフ・ハンディキャッピングが言い訳となりますので、失敗しても仕方ないという風に見える状況を作り出してくれます。
 
そのため、失敗しても、自分の評価や自尊心の低下を防ぐ、もしくは低減することができるのです。
 
言い訳をすることで罪悪感や劣等感を薄める効果があるのです。
 
 
 
成功したら評判をあげられる
セルフ・ハンディキャッピングのいいところは、失敗したときにも成功したときにも使えるということです。
 
 
「いやぁ、昨日全然勉強しなかったわ〜。」
 
この後にテストを受けて、めちゃくちゃ点数が良かったとします。
すると、
 
「おぉ!全然勉強してなかったのに、俺すごいじゃん!」
 
と、なんかすごく聞こえますよね?
 
 
セルフ・ハンディキャッピングによる障壁のようなものがあるのにも関わらず良い結果が得られたのですから、自分がすごいという風に捉えることができます。
 
そのため、自尊心を高めることができますし、他人からも高評価が得られるかもしれません。
 
 
 

セルフ・ハンディキャッピングによるデメリット

 
しかし、世間一般的にはセルフ・ハンディキャッピングはあまり良い意味では聞かれません。
 
それは、メリットよりもデメリットの方が大きいからではないでしょうか。
 
なので、しっかりとセルフ・ハンディキャッピングによるデメリットを確認していかなければなりません。
 
 
 
外部要因への責任転嫁
最初に言いました。
 
自分自身の失敗の理由は自分の外側に、
自分自身の成功の理由は自分の内側に求めるための事前工作と。
 
 
つまり、セルフ・ハンディキャッピングは、失敗の理由を自分の能力不足ではなく、外部要因にあると思わせる責任転嫁とも言えるのです。
 
これは、ただの論理のすり替えです。
本当は自分に原因があるはずなのに、勝手に外部要因に責任転嫁をしているのです。
 
 
 
「テスト勉強をしていなかったから、テストの点が悪かった。」
 
 
まぁ他人から見たら自業自得ともいえますが、そう言っている本人からしたら外部要因なのです。
 
なぜかといえば、本当はやる気になったらできると思っていて、本気になることができなかったのが自分が原因ではないという風に、自分自身の中では筋道が立っているからなのです。
 
 
 
自分の評価が高く、本気を出せばもっとできる!と言い訳をしている人は、本当は自己評価と現実の落差を怖がっているのです。
 
そのため、あえて自己評価を落とすことで、自分が傷つかないように防衛策をたてているのです。
 
 
 
向上心をなくす
セルフ・ハンディキャッピングは、たしかにその場しのぎの言い訳にはなります。
 
しかし、セルフ・ハンディキャッピングが習慣化になると、向上心がなくなってしまいます。
 
 
 
本来は、失敗は成功のもととも言われるように、失敗をすることで初めて自分の能力や考え方に向き合い、気づき、努力し、成功体験を積んで、充実感や満足感を得る、というスパイラルに向かうべきものです。
 
 
しかし、セルフ・ハンディキャッピングがあると、自分と向き合うという最初の工程を無視することになります。
 
外部に要因があるとしているため、自分に原因があると思いませんし、なので改善するわけもありません。
 
なので成功体験を積めることもありませんから、成長意欲がなくなります。
 
そのため、努力も、挑戦もしなくなります。
 
 
 
まぁ本当の原因は、そんなダメな自分を認めてあげる自己肯定感がないことです。
そのあたりは別記事で書いていると思うので、そちらをご覧ください。
 
 
 
 
自ら無能さをさらけ出している
そして、これが最大のデメリットです。
 
セルフ・ハンディキャッピングは、実は自分の無能さをさらけ出していることに他ならないのです。
 
どういう意味かわかりますか?
 
 
先ほど言った、セルフ・ハンディキャッピングでのメリット、失敗しても面子を保つことができる、これが本当はできていないんです。
 
セルフ・ハンディキャッピングをしている人はその事実に気づいていませんが、言い訳をしている人を見ている周りの人たちは気づいています。
 
 
 
 
「いやぁ、昨日全然勉強しなかったわ〜。」
 
 
これを周りの人が聞いたら、どう思うか。
 
 
「いやいやいや、勉強しなかった自分が悪いんだろ?
計画立てられてない自分の能力がないだけだろ?
それをなに言い訳してんの、こいつ信用ならんな〜。」
 
 
という評価を下しているものです。
 
 
つまり、自分ではセルフ・ハンディキャッピングによって言い訳をしているものの、他人からすべてを見透かされており、ただ自分の無能さを晒しているだけに過ぎないのです。
 
 
 
よく言われることですが、
 
人は失敗したとき、
自分の失敗は外に原因を求めるが、
他人の失敗は他人自身に原因を求めるそうです。
 
 
人がある人の行動を見たとき、その理由を環境に求めるよりも、その人の能力性格に理由を求めるそうです。
 
ホームレスの人を見たとしましょう。
あなたは、なぜその人がホームレスになっていると思いますか?
 
大抵の人は、その人の能力不足と勝手に思ってしまうそうです。
 
でも本当は、会社の倒産にあって、追突事故にあって、とかいろんな外的理由があるかもしれません。
 
それなのに、人は他人の失敗は自分のせいでしょ、と判断してしまうのです。
 
自分の失敗は外の理由にしたいくせに、本当に厄介な生き物ですね人って笑
 
 
 
 
 
まぁだからこそなんですけど、アイドルとかスポーツ選手って、かっこよく見えたりするんですよね。
 
だって、インタビューとか思い出してみてください。
 
「今回の勝利の要因はなんでしたか?」
という記者の質問に対して、
 
「ファンの皆さんのおかげです。」
 
って成功の要因を自分の外に求めていますよね。
 
 
本来だったら、成功したのは自分の能力のはずです。
それなのに、あえて外に要因を求めるのです。
 
それは、謙遜を好む日本人にとってはカッコよく見えるものです。
 
「こうやって活動できるのも、ファンの皆さんのおかげです!
本当に本当に、ありがとうございます!!」
 
そう言われると、アイドルにも好印象を持ってしまいがちです。
 
 
さらに逆に考えてみてください。
 
「今回の敗因はなんでしょうか。」
と聞かれたスポーツ選手は、なんと答えるでしょうか。
 
スタジアムのせい?
天候の影響?
相手のブーイング?
 
「自分の力不足です。」
 
こう答えるはずです。
相手や外部環境のせいにする人は多くないはずです。
 
 
 
自分のライブにお客さんが来ないのが、ライバルのせいにするアイドルはいません。
 
本当に売れるアイドルは、自分の能力不足だ、自分に魅力が足りていないからだ、と自分と見つめ合っているんです。
 
 
 
 
自ら無能さをさらけ出しているできない学生とは大違いですよね。
 
 
 
 

セルフ・ハンディキャッピングからの脱出

セルフ・ハンディキャッピングには、一見するとメリットがあるように見えます。
しかし実際のところ、他人からはいろいろ見透かされています。
 
そのため、やはり言い訳はしない方が世間体的にも、自己成長的にも良さそうですね。
 
では、どのようにセルフ・ハンディキャッピングから脱出すればよいのでしょうか。
 
言い訳をしている自分に気付く
まず大切なことは、言い訳をしている自分に気付くことです。
 
というのも、セルフ・ハンディキャッピングに甘んじている場合は、無自覚であることが多いです。
 
言い訳して外部に責任転嫁する方が、自分を非難せずに済むから楽なのです。
楽だからこそ、なにも考えずに言い訳をする状態に甘んじているのです。
 
 
しかし、そのままでは成長することはありません。
本当に自分を変えたいと思うのであれば、まずはそういう状況に陥っている自分に気づかなければなりません。
 
勝手に自己防衛をしている自分に意識的に気付くこと、それがスタートです。
 
 
 
自分の中に原因を探す
セルフ・ハンディキャッピングをしている自分に気付けたら、次です。
 
本当の原因を自分の中に探してみましょう。
 
一番辛い作業だと思います。
だって、自分で自分を無能だと認めないといけないのですから。
 
しかし、自分と向き合わなければ、何を直していいのかもわかりません。
この過程は必須なのです。
 
 
自分が普段目をそらしている、敬遠していることに目を向けなければなりません。
 
 
発見する手立てとしては、こういう考え方もあります。
「失敗しないために、これはしない」ということがあるはずなので、その「これ」を探すんです。
 
テストで失敗しないために、勉強しない、みたいな感じです。
 
すると、その勉強という部分に自分の無能さが隠れていることがほとんどです。
 
 
 
 
自分は大したことないと思う
自分と向き合うと、現実を突きつけられます。
自分はそんな大物じゃないんだってことに気付くことができます。
 
自分自身の評価 > 周りからの評価
 
と自分で思ってしまうからこそ、
 
自分自身の評価 < 周りからの評価
 
という現実を見たときに、その落差に落ち込むんです。
で、落ち込まないようにセルフ・ハンディキャッピングをしているのです。
 
 
 
なので、落差をなくす、というよりもむしろ、最初から落ちることがないようにすればいいんです。
 
つまり、
 
自分自身の評価 <<<<< 周りからの評価
 
と自分で思っておけばいいんです。
 
そしたら、「どーせ自分はダメダメなんだから、まぁ周りからもそう思われてるよな。」と思うようになります。
 
そしたら、特に言い訳をする必要もなくなります。
 
 
自分が地球上で最もダメな人間だ、と思うくらいに自分への期待値を下げるのも、一つ方法ではあります。
 
 
一部には絶対的な自信を持つ
ですが、自分をダメダメ思い続けていると辛いものがあります。
 
なので僕的にはですが、一部には自分自身に絶対的な自信を持つといいかなと思います。
 
勉強はダメでも、計算だけにはめちゃくちゃ自信がある。
 
スポーツはダメでも、投げることだけは超得意。
 
そんな感じです。
 
僕も、歌はまったく得意じゃないんで、カラオケとかすごい避けていたんですね。
 
だけど、自分が好きな曲はいい曲、っていう曲選のセンスだけには自信を持つようにしていました。
 
なので、カラオケでたとえ歌が下手だとしても、曲を聴いて周りの人が「いい曲だね」と言ってくれるだけ、自分の自信にはなっていました。
 
そうやって、一部だけでいいので、絶対的な自信を自分の中に持つと、それだけで胸を張って生きていくことができますよ。
 
 
 
背水の陣に自分を追いやる
言い訳をしない方法としては、全く逆のことを最初からすればいいんです。
 
つまり、言い訳をできない、背水の陣に自分を勝手に追いやってしまえばいいんです
 
 
よく、ビッグマウスといわれる人がいますよね。
 
大きい目標を言って、過信しすぎだと非難されがちな人です。
 
彼らは、自分から弱気な逃げ道をなくして、成功の可能性を高めようとしているんです。
 
 
 
 
人は、火事場の馬鹿力とも言うように、後に引けない状況でこそ本領を発揮するものだと、僕も思います。
 
英語が無理とか言いながらも、イギリスで誰も日本人がいない状況では英語を話すしか生き残る術はありません。
 
そんな状況になれば、たとえ勉強ができなくても英語が聞き取れ、しゃべれるようになるものです。
 
 
 
 
最初から自分の逃げ道を絶ってしまう、自信がありできると周りに宣言する、どちらもいい方法です。
 
そうしてしまえば、失敗したとしても、それがいまの自分の実力だと認めやすくもなりますよ。
 
 
 
お金を使う
ほかの手段として、お金をかけてしまうという方法もあります。
 
人には、損失回避の原理というものがあります。
 
損をしたくない!という性質です。
 
なので、お金という代償を払うと、その分の価値を取り戻さないといけない!と本気で思うようになるのです。
 
ダイエットに失敗しないようにお金をかけてライザップに通ったり、というのも有効ですよ。
 
 
お金じゃなくてもいいです。
自分にダメージが伴うものであったり、後戻りできなくなるようなものであればいいです。
 
自分に負荷をかけるようにすると、言い訳をすることもなくなりますよ。
 
 

まとめ

いかがでしたか?
 
セルフ・ハンディキャッピングには、言い訳をすることで自分の評価を下げないというメリットがあるように見えます。
 
しかし実際のところは、ただ責任転嫁しているやる気のない無能な奴、というレッテルを周りから貼られているのです。
 
 
そして、セルフ・ハンディキャッピングには、自分の評価を実質的に下げることはありますが、自分をよりよくすることはありません。
 
成長とかそういう観念で見たときに、セルフ・ハンディキャッピングにはなにも価値がないんです。
 
 
失敗は、恥ではありません。ただの、うまくいかなかったという結果でしかありません。
その過程を分析することで、本当の成功への道筋が見えてきますよ。
 
 
 
そして、これも大切なことだと思うのですが、
 
常日頃言い訳をしないでいると、本当にダメな時が自分でわかるようになります。
 
さらに、自分の失敗を受け入れられるようになると、客観的に自分の成功や失敗を予測することができるようになります。
 
そして、自分の予想と結果があたるようになると、客観的に自分を見れているというさらなる自信につながります。
 
言い訳はせずに、素直に自分を見ることができるようになるといいですね。